長寿県から肥満県へ「沖縄で何が起きているのか」三泊四日取材報告

こんにちは。管理栄養士の圓尾(まるお)です。

(はじめての方は、こちらからどうぞ

 

沖縄に三泊四日で取材に行ってきました

今回の出張の目的は二つです。

 

一、九月の「いろは食道」(和食イベント)で砂糖を取り上げるので、サトウキビ栽培の盛んな沖縄で砂糖製造の現状を視察する

二、かつては長寿を誇った沖縄が肥満県になってしまった原因になった食の変化を見てくる

 

今回の記事では、その沖縄取材の様子を報告していきたいと思います。

 

 

長寿県から肥満県へ 沖縄で何が起きているのか三泊四日取材報告

八月二十三日 沖縄到着

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羽田から沖縄へ空路で向かい、那覇空港からレンタカーのお店までタクシーで移動。

 

そこで一緒にイベントをやっている前田さんのおばさまご夫婦と合流します。

この方が沖縄の新聞社のOBで、地元の繋がりをたどっていろいろな方に約束を取り付けてくださいました。

 

サトウキビの葉で染める ウージ染め

最初に訪れたのが、ウージ染めの工房

 

砂糖を作る時に使うのは、サトウキビの茎部分ですが、残った葉の部分を使って染め物を作っているのが「ウージ染め」です。

(サトウキビは沖縄言葉でウージと言う)

 

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金属と反応させることで、いろんな色が出せるそう。

微妙な濃淡が美しいです。

 

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サトウキビの葉を煮て、金属液と反応させ、色を出します。

 

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染めに使った後の葉は、農家さんに返します。

煮詰めると、葉が柔らかくなり、発酵しやすくなるので、肥料に使いやすいとのこと。

 

なんて地球にやさしい、無駄のないエコな循環なんでしょう。

 

最初の取材、視察

続いて。

早速一人目の取材相手に会いに行きました。

 

「食と農を考える会」代表の久手堅憲珍さんです。

 

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久手堅さんは戦後、外来の大豆が入ってきて姿を消しつつある沖縄の在来の大豆を復活させようとしていたり、

沖縄に昔からあるいろんな種類のサツマイモ(そもそもサツマイモは沖縄から薩摩にもたらされた芋なので、沖縄の方は単に”イモ”と呼ぶ)を栽培されています。

 

沖縄の健康長寿を取り戻すために、古来から栽培されていた作物を復活させようと活動されているのです。

【 参考 】「在来大豆、復活普及へ 健康重視、食育にも」琉球新報

 

久手堅さんは貸し農場を解放していたり、食育にも力をいれていらっしゃいました。

 

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僕より全然背が高いウージ(サトウキビ)たち。

 

「食と農を考える会」の定例会にお邪魔する

その日の夜、久手堅さんが代表を務めている「食と農を考える会」の定例会に呼んでいただきました。

 

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この定例会では、毎回沖縄の食材を使った料理が、料理家さんから振る舞われるのだそう。

 

石垣のお米に、パパイヤのしりしり、島豆腐にへちま、ゴーヤなど、沖縄の食材が目白押しです。

素材が良いから、味付けが簡素でも十分美味しい。これは贅沢だ。

 

この会では、久手堅さんを中心に、農業に関連する事業をされている方、フリーランスの管理栄養士さんなどの専門家から、

東京から沖縄に移住してきた方、一般の食を学びたいという方まで十名以上が参加されていました。

 

見たこと無いレベルの元気さを誇る高齢の方たち

そこではさまざまな会話や議論が繰り広げられたのですが、僕が一番印象的だったのは、皆さんがとても元気だということ

 

ビジネスや新規事業、沖縄の農業が抱える課題について理路整然とお話をされ、耳も全然遠くなく、聞き返されることもありません。

恐縮しながら年齢を伺ってみると、返って来た答えはなんと「85歳」!!!

 

そうか、沖縄はただ長寿なだけではないんだ。

長寿で、かつバリバリ元気なんだ。

 

「明らかに僕が接してきた高齢者の方とは違う」

そう感じました。

 

なんとなく見えてきた沖縄の食事情

意外に知らなかったのは、沖縄でお米が主食になったのは戦後だということです。

 

昔はイモや雑穀、根菜が主食で、その後イモが主流になり、戦後になってようやくお米が食べられるようになったみたいです。

 

そもそも、沖縄の気候は稲作に向いておらず、現在でもほとんど作られていません。

ほとんどが本土からの移入品です。

 

 

ここ五、六十年で、沖縄の食は大きく変わった

その変化を実際に味わってきた高齢者の方は口を揃えます。

 

戦争後のアメリカ統治によって、食事が大きく変わったのは事実でした。

 

当時はみんなアメリカのものに憧れて、喜んで欧米食を受け入れたといいます。

その結果、高齢者は長生きするけど、幼い頃から欧米化した食事をしてきた中年の人たちは早死にする

 

透析クリニックで働いていた管理栄養士の方は「沖縄は四十代の若い透析患者が多い」と話していました。

やはり、沖縄の食が急速に欧米化した結果、健康を損なう人が急増したのは本当だったのです。

 

食文化の破壊がこれだけ悲惨なものなのか…

そんなことを痛感した夜でした。

 

八月二十四日 無農薬無化学肥料の黒糖作りを見る

二日目は、「沖縄版食べる通信」の第一号にも取り上げられている、サトウキビ栽培から黒糖製造を行う前田憲章さんのもとへ伺いました。

 

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沖縄の方って、なんでこんなに穏やかで人当たりが良いのだろう。

この前田さんの笑顔にすべてが表れていますね。

 

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こちらが、前田さんが作っている純黒糖。

生産量が少ない上に、精製度が低く、輸送による品質劣化の恐れがあるため、東京では手に入りません

 

一口食べて驚きました。

こんな黒糖は食べたことがない

 

砂糖を食べているのではなく、チョコレートを食べているような、いろんな香りと味がします

もちろん甘みもあるのですが、ただ甘いだけの砂糖とはまるで違っていました。

 

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前田さんは農薬も化学肥料も使いません

土づくりから始めます。土ができるのに二年かけています

 

化学肥料使ったサトウキビから黒糖作ると、味が変わっちゃうんだよ

栽培されているサトウキビの99%以上は化学肥料を使っているとのことで、本当に貴重な黒糖です。

 

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ここでじっくり黒糖を煮詰めていきます。

ガスとか電気はダメだね。薪(まき)じゃないと良い黒糖ができない

 

前田さんは養鶏もされているということで、幸運にも養鶏場も見せてもらいました。

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元気いっぱいに走り回る鶏たち。

そして時折轟く「コケコッコー!」という元気な鳴き声。

 

「ほとんどの養鶏場はもっと規模が桁違いに大きいよ」

過去の記事でも書きましたが、日本の卵の九割以上はギュウギュウ詰めのケージ飼いの鶏が産んだ卵です

 

 

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「前田さん、僕はこうして沖縄で誠実に命のもとである食べものを作っている方たちのために、何ができるんでしょうか」と聞いてみると、

 

黒糖のこと、サトウキビのことを伝えてくださいよ。それが回り回って私たちにとっても良いことになりますから」という答えが返ってきました。

 

「そうだ、自分は自分の出来ることを精一杯やろう。東京の消費者に生産者のことを伝えよう。知ってもらおう」

前田さんの言葉に力をいただき、これまで以上にイベントに対する想いを強くしました。

 

首里城見学

沖縄に来たからには、一応行っておこうということで、首里城の見学にも行きました。

 

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かつてはここに薩摩藩の役人や、ペリーも訪問したとのこと。

 

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琉球の衣装と着物は違うけど、やっぱりこういう景色に馴染みますね。

 

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首里城のほぼすべては戦争で消失してしまったそうです。

アメリカ軍が上陸し、三十万人もの命が奪われた沖縄戦ですが、当時はここも惨劇の舞台だったのですね。

 

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大和の人(本土に住む日本人のこと)は、沖縄の中に基地があると言うけど、そうじゃない。基地の中に沖縄があるんだ

沖縄の人はそう言います。

 

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平地など、住みやすいところはすべて米軍が押さえている。ウチナンチュ(沖縄に住む人)は、残った土地に住まわされているんだよ

確かに、沖縄を車で移動する際、大回りで迂回しないと辿りつけない場所がありました。

 

那覇空港でも戦闘機が離陸する時にちょうどぶつかり、話し声がまったく聞こえないほどの騒音を聞いて驚きました。

生活の中に基地があるということ、情報では知っていましたが、実際に体験して沖縄の方の苦労の一端を垣間見た気がします。

 

八月二十五日 点と点をつなぐ よんき産業研究会代表 大城さん

ミネラル豊富な自然塩

三日目は、まず「青い海」という塩を作っている工場の見学に行きました。

 

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このようにあらかじめ濃縮した海水を七時間かけて煮詰め、塩の結晶を取り出していきます。

ミネラルをたっぷり含んだ、天然塩です。

 

一九九七年までは専売法という法律があり、塩が自由に生産できなかったそうです。

これによって塩作りは衰退し、科学的に精製されて塩が広がってしまったことも日本人が健康を害することに繋がったのだと思います。

 

こんな海水が綺麗な漁港は見たことがない

漁港で海鮮を食べに移動。

 

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漁港なのに、海がエメラルド色

 

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沖縄っぽい、色鮮やかな魚が並びます。

 

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海ぶどうももずくも、海藻が美味しいです。

イカスミ汁も始めて食べましたが、美味でした。

 

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その後は、よんき産業研究会の代表である大城喜信さんにお話を聞きに伺いました(すいません、写真撮っていませんでした)。

 

大城さんからは、沖縄の農業の話と、今取り組まれている、人と人を連携させることについてお話を聞かせてもらいました。

 

戦後の二大失策は、化学肥料の使用を推進したことと、塩田を廃止したこと

 

本当に日本ってなかなか有機栽培や無農薬、無化学肥料栽培が広がっていかないですよね。

一度根付いてしまった慣習を変革するのは、なかなか簡単にはいかないようです。

 

しかし、一人ひとりの力は小さくても、心を持った生産者や加工者、支援者が集まれば大きな動きになります

沖縄は本土から離れているため、良い意味で自分たちのペースで、まとまって一つの活動をしやすいという特性があるのかなと思いました。

 

沖縄から日本の農業が変わっていく

そんなことも起きていくのかもしれません。

 

まとめ

かなり長い記事になりました。

 

今回の三泊四日の沖縄出張は、本当にたくさんの人に会ったりいろんな場所に行ったので、密度の濃い滞在でした。

 

ここで伝えられることは本当にごくごく一部ですが、

自分の目で見たり耳で聞いたこと、心が感じたことは血肉となって今後の活動の糧となることでしょう

 

使い古された言葉ですが、「百聞は一見にしかず」、現場を見ること、直接人の話を聞くことの大切さを改めて感じました

今後もこのようにいろんな生産者さんや食に携わった事業をされている方にどんどんお会いしていきたいと思います。

 

また、今回の取材の様子を盛り込んだイベント「いろは食道」を九月二十五日に開催いたしますので、興味ある方はぜひ足をお運びください。

前田さんの純黒糖も食べられますよ!

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