歴史の明暗を分けた!日本海軍と陸軍で食べられていた食事の違いとは

歴史の明暗を分けた!日本海軍と陸軍で食べられていた食事の違いとは

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一人の人物によって、その後の歴史が大きく変わる

ということがあります。

 

今回はそんな英雄の一人で、

明治時代に活躍した軍医の話をしたいと思います。

 

彼の名前は、高木兼寛(かねひろ)

 

明治の、まさに日本が軍国主義を取り、

欧米列強の仲間入りを果たそうと躍起になっている時代。

 

彼がいなければ、日本の歴史が変わっていたかもしれません。

 

今回は、そんな高木兼寛が果たした偉業をご紹介したいと思います。


※ 4月24日、初めての著書が発売になります!

 


高木兼寛が明治時代の日本を救った

脚気が大流行

脚気(かっけ)」という病気があります。

 

これはビタミンB1が不足することによって起きる病気で、

日本では江戸時代に流行し、

江戸患い」とも呼ばれていました。

 

なぜ江戸時代に流行ったかというと、

それまでは玄米などの雑穀を食べていた庶民が豊かになり、

精製された白米を食べるようになったことがきっかけです。

 

白米は玄米に比べて栄養素が低いため、

ビタミンB1が不足して脚気を患う人が急増しました。

 

脚気にかかると、

最初は体がだるくなったり、食欲不振になります。

 

そしてやがては神経障害を引き起こし、

ついには呼吸不全、心不全によって

死に至るという恐ろしい病です。

 

しかし、当時は

これが栄養素の不足によって起きているなどとは

誰も考えていませんでした。

 

船員がバタバタと脚気に倒れる

明治時代になり、

日本も諸外国にならって軍隊を作りました。

 

この頃は脚気は原因不明の病で、

軍隊においても深刻な問題になっていました

 

たとえば海軍の戦艦(龍驤(りゅうじょう))が

272日の航海に出た際、

船員376人中、約半数の169人が脚気にかかり、

そのうち25人が死亡しています。

 

これほど深刻な被害をもたらしていた脚気ですが、

なんと欧米の軍艦ではまったく発生していませんでした

 

このことから、海軍軍医の高木は

脚気の原因は食事にあるのではないか

と考えるようになります。

 

海軍と陸軍の食事

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高木は自分の説を確かめるため、

白米に大麦を混ぜてみることにしました

 

すると、これを試した「筑波」という軍艦では、

287日の航海中、船員333人に対し脚気にかかったのはわずか14人、

死者にいたってはゼロという結果が出たのです。

 

この結果を受けて海軍では食事が改善され、

脚気で倒れる船員はほとんどいなくなりました

 

しかし、信じられないことに

陸軍ではこの海軍におけるめざましい成果を

一顧だにせず、無視し続けました

 

同じ国の軍隊にもかかわらず、

陸軍ではまったく食事に手を加えられることはなかったのです。

 

その後の日清戦争では、陸軍において、

戦闘により1270人の死傷者が出てしまったのですが、

 

戦闘が原因でない脚気による死者数は

なんと4064人に達しました

 

戦闘による死者よりも、

栄養不足で亡くなった兵士の方が圧倒的に多かったのです。

 

一方、海軍では脚気による死者数はゼロ

それどころか、脚気にかかったものすら一人もいなかったのです。

 

同じ時期の、同じ国の軍隊にもかかわらず、です。

 

日本陸軍はその後も食事はまったく改善されず、

次の日露戦争では、戦死者4万7000人に対して、

脚気患者は21万1600人で、

そのうち死者は2万7800人を数えています

 

言うまでもなく、

海軍では脚気患者すらほとんど出していません。

 

なぜこんなおかしなことが起きたのでしょうか。

 

医学はドイツが本流

なぜ陸軍では食事がまったく改善されなかったのか。

 

海軍での成果が共有されていなかったわけではありません。

成果は伝わっていたのですが、

完全に無視され続けていたのです。

 

その理由は、

高木が医学をイギリスで学んでいたからです。

 

当時の日本では「医学はドイツ」という風潮があり、

権威ある医師はみなドイツ留学者で占められていました。

 

高木は医学の本場ドイツで学んでいないからという理由で、

世界では高木の功績が高く評価されていたにもかかわらず、

国内ではまったく認められていませんでした。

 

当時の陸軍には医師としてだけでなく、

文豪としても有名な森鴎外もいましたが、

 

彼らは「脚気は伝染病である」との主張を曲げず、

栄養不足だとする高木の考えに見向きもしませんでした。

 

その結果、当時の日本陸軍は戦闘以外のところで

多大な犠牲を払うことになったのです。

 

高木の功績が評価されたのは、死後時間がたってからでした。

 

まとめ

このエピソードはいろいろ学びが隠されています。

 

高木の時代から100年たっているとはいえ、

現代においても栄養学はまだまだ発展途上、未知の部分が多いです。

 

概して新しい考え、新しい理論は

それまでの常識からすると

突拍子もなく見えることがあります。

 

しかし、今までの常識だけで情報を捉えていては

大きな発見はありません。

 

今日でも次々に新しい健康法や栄養の情報が

飛び交っていますが、

 

それを頭ごなしに否定するよりも、

真実を見極めようとする目が必要です。

 

僕も偏見を持ったり、食わず嫌いにならずに、

まず興味を持って情報を知ることを大事にしていきたいです。

 

新しい変化を受け入れられなくなり、

盲目的になることほど怖いことはないのですから。

※ 4月24日、初めての著書が発売になります!

 

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COMMENTS & TRACKBACK

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  1. By 匿名

    うふふ

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