【エピソード】これは感動! 22歳でカナダ勲章を取った青年

【エピソード】これは感動! 22歳でカナダ勲章を取った青年

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偉大なことをするには才能が必要なのでしょうか。

100の努力は1の才能に勝てないのでしょうか。

天才と凡人の間には超えられない壁が存在しているのでしょうか。

もしかしたら、このストーリーにその答えが含まれているかもしれません。

 

史上最年少でカナダ勲章授与

カナダ人に「テリー・フォックス」という人がいます。

彼はもうこの世にいません。22歳でこの世を去りました。

カナダの1ドル硬貨には、エリザベス女王と並んで彼の肖像が刻まれています。

日本ではあまり有名ではありませんが、カナダでは国民の誰もが知っている英雄です。

彼は史上最年少でカナダ勲章まで授与されています。

22歳という短い人生を送ったテリーは一体どんな偉大なことを成し遂げたのでしょうか。

 

スポーツ少年

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テリーは子供の頃からスポーツ万能な少年でした。

なかでもバスケットボールのプレイはピカイチで、彼自身もバスケットボールが大好きでした。

18歳で大学に進学したテリーは迷わずバスケットボール部に入部。

大学に入学した時点ですでのその地区の中で一番名の知れたバスケットボールプレイヤーに成長していました。

彼の活躍ぶりは目覚しく、「夢はNBAに入ってプロになり、世界で一番のバスケットボールプレイヤーになることだ」と周りに語っていました。

夢と希望に溢れた青春時代。彼の人生には一点の曇もありませんでした。

 

足がなくなる?!

しかし、そんなテリーを突然悲劇が襲います。

ある日の部活の練習中、彼は足に違和感を感じ、念のため病院で精密検査を受けることになったのです。

その検査の結果、あまりにも重い宣告が医師から告げられることになります。

「テリー、君の足は骨肉腫という病気に冒されている」

骨肉腫とは骨のガンと呼ばれている病気で、彼はまだ若いため、進行が早く、一刻を争う状況でした。

「これを告げるのは心苦しいが、助かるためには手術で右足を切るしかない。辛い決断だとは思うが、生きるためにはそれしないんだ」

宣告を受けたテリーが18歳で、しかもプロのバスケットボールプレイヤーを目指していたことを考えると、受けた衝撃は筆舌に尽くしがたいです。

「もうバスケットボールができなくなってしまう」

しかし、命には変えられません。

彼は手術を受けることを選択し、右足を失うことになります。

 

失意の底で

手術は無事に成功。テリーはベッドの上で空に浮かぶ流れる雲を力のない目で眺めていました。

「僕の夢はバスケットボール選手になることだった。でも、今はもうその夢は叶わない。これからは一体何を目指して生きていけばいいんだ・・・」

そんな人生の希望を失ってしまったテリーに両親も心を痛めていました。

「テリー、自暴自棄にならないで。あなたはまだ若いんだから何だってできるわ。バスケットボール以外にも、きっと好きなことが見つかるはずよ」

「父さん、母さん!変な気休めはよしてくれ!バスケットボールは僕のすべてだった。もう生きていても仕方ないんだ!」

両親の優しさに素直に応えることができず、冷たく当たるしかないテリーでした。

 

天使が舞い降りた

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徐々に世間に対して心を閉じるようになったテリーは、病院の中でも他人と関わることを避けるようになっていました。

人目を避けるように毎日病院の中庭のベンチに一人で座り、ただただぼんやりと空を眺める日々。

そんなテリーに近づく、小さな女の子の姿がありました。

「お兄ちゃん、こんにちは!今日はとても天気がいいわね」

女の子は10歳ぐらいで、テリーと同じ病院に入院していました。

テリーはその女の子の挨拶にも言葉を返すことはありませんでした。

しかし、テリーがいくら無視しても、来る日も来る日も少女は中庭のテリーのもとを訪れます。

「ねえ、お兄ちゃん!今日はきれいなタンポポを摘んできたわよ。ほら」

「ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんはここを退院したら何したい?」

毎日毎日、テリーに無邪気に話しかける女の子に、テリーも徐々に心を開くようになりました。

「僕はね、バスケットボールがとても好きだったんだよ」

「へえ〜、バスケットボール!素敵ね〜!」

「うん、でも僕はもうバスケットボールをプレイすることはできないんだよ」テリーは力なく答えました。

「お兄ちゃん、元気を出して!お兄ちゃんに頑張れないはずはないわ。だってこんな私でも頑張れるんだから!ね?」

自分を励ましてくれている少女の姿を見ると、「弱い姿を見せるわけにはいかないな」と思うテリーでした。

「そうだね。よし!僕も頑張るよ!」

「約束だよー!あ、そうだ!私、まだ小さいけど、大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになってあげる!どう?」

「ははは!本当?それはうれしいな。よし!約束だよ」

いつしか、そんな少女との他愛のない時間がテリーにとっての心の支えになっていました。

 

突然の別れ

しかし、せっかく元気を取り戻したテリーにまたもや悲劇が起きます。

ある日を境に、少女がぱったり中庭に来なくなるのです。

少女に会いたくなったテリーは看護師に少女のことを聞きました。

「ああ、あの子ならちょうど一週間前に亡くなったわよ」

実は少女はテリーと同じ病気に冒されており、進行しきっており手の施しようがない状態だったのです。

「そんな・・・。神様、どうして僕から何もかもを奪ってしまうのですか」

せっかくできた心を開ける相手が死んでしまったこと、そして彼女が自分と同じ病気だったことが「自分も急にあっけなく死んでしまうのではないか」というテリーの孤独と絶望を大きくしました。

テリーは人生の分岐点にいました。

ここですべての希望を失って塞ぎこんでしまうのか、それとも・・・。

「・・・あの子は絶望の世界にいた僕を救ってくれた。・・・僕はあの子に何一つしてあげられなかった」

何とかしてあの子にお礼を言いたい。

その日の真夜中、テリーはあることを考えつきます。

 

募金を集めよう

彼が思いついたこと。

それは、「ガンの治療研究のための資金を集めること」でした。

「二度とあの子のような悲劇を起こしたくない。僕が研究資金を集めればガン撲滅に貢献できるはずだ」というのがテリーの考えでした。

しかし、普通に募金を募っても大した金額は集まらないだろうと考えた彼は、あるとんでもない計画を打ち立てます。

 

カナダ横断

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その計画とは、自分がカナダを東から西にマラソンで横断し、その様子をテレビ中継させ、カナダ国中にアピールして募金を集める」というもの。

目標金額、2億円。

目標金額の大きさもさることながら、これがどれだけ無謀な計画がおわかりいただけるでしょうか。

カナダの東端から西端までは8000km.

日本に置き換えると、北海道から沖縄までが直線距離で3000kmなので、北海道から沖縄を1往復半走ることに相当します。

彼はそれを毎日フルマラソンの距離42.195kmを走り続け、横断するというのです。

健常者と違って彼には右足がないので、義足を付けて走ることになるのですが、これは今から30年も前の話。

当時の義足はまだ品質が今ほど良くなく、歩くだけで精一杯のもので、とてもとても走れるようなものではありませんでした。

テリーの計画は無謀以外のなにものでもなかったのです。

 

準備開始

トレーニングを開始するテリー。

義足の扱いになれていないのと、ベッドの上の生活が長く、体力も低下していたため、数歩走るのがやっとの状態でした。

数歩走っては休み、また数歩走っては休むを繰り返しました。

(当時の映像が残っています。こちらから ※Youtubeに飛びます)

これを見ると、今のパラリンピックの選手がつけているような義足とは全然違うものだということがわかるかと思います。

少し走ると、足と義足の接合面がすれて、皮膚がえぐれ、血があふれ出しました。

その痛々しい姿を見た両親は目に涙を浮かべました。

「お願い、テリー。もう見てられないわ。お願いだからやめてちょうだい・・・」

「父さん、母さん、これぐらいなんてことないよ。この傷は時間が立てば治る。でも、あの子はもう二度と帰ってこれないんだ。僕は彼女にがんばるって約束したんだよ」

テリーの決心は固かったのです。

 

スタート

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3年後。

テリーは鋼の精神で3年間練習を続け、とうとう義足を使って走れるレベルにまで達します。

「よし。準備はできた」

1980年4月12日。

テリーはカナダの東の端の海岸に立っていました。

そして、総距離8000kmに及ぶマラソンの第一歩をスタートさせたのです。

この日からテリーは毎日42.195kmを走り続けます。

マラソンはとても順調に行き、テリーは毎日きっちりフルマラソンの距離を走っていました。

少しずつ、メディアでも取り上げられるようになり、人々の間で話題になるようになりました。

「おい、今日テリーがこの町を通るらしいぞ」

テリーが向かう町の人たちは横断幕を作ったり、沿道に並んで彼に声援を送るようになります。

その規模はどんどん大きくなり、町をあげてテリーを迎えるまでになっていきます。

マスコミ報道もより大きく取り上げられるようになり、テリーは一躍カナダ中の国民が知る有名人になります。

テリーはどれだけ疲れていても常に笑顔でテレビカメラの取材を受け、熱心に想いを伝え、募金に協力してほしいと訴えました。

そして彼の意志に賛同した国民から募金が集まり始めたのです。

 

テリー、崩れる

このマラソンは「マラソン・オブ・ホープ(希望のマラソン)」と呼ばれています。

テリーはマラソンをスタートした当初、早朝にスタートして午前中にはもう距離を走りきっていました。

しかし、少しずつ走り終わる時間が遅くなっていき、昼過ぎ、夕方とペースが落ちてきます。

そしてとうとう一日かかっても距離を走りきれなくなってしまいます。

また、マスコミのインタビューに答えるテリーに、前はしていなかった咳が目立つようになります。

彼はそんな不調にも負けず、西端を目指して進み続けました。

もはや走ることはできなくなり、足をひきずりながらも、それでも一歩でも足を前へ運びました。

そんな明らかに様子がおかしいテリーにとうとうドクターからストップがかかります。

「今すぐ走るのをやめなさい。さもないと君は死んでしまう」

5373km.

テリーが143日間かけて走りきった距離です。

西端まであと3000km弱のところでした。

 

残された時間

再び病床のテリー。

彼は肺がんに冒されていたのです。

転移です。インタビューの咳はその症状でした。

実はテリーはガンが肺に転移しているのをマラソンを始める前から知っていました。

「テリー、こうなった以上肺を一部切除するしかない。マラソンはあきらめてくれ」

しかし、今のテリーにはこのマラソンが人生のすべてでした。

「先生、僕にはあまり時間が残されていません。肺に転移したということは進行はかなり早い。手術したらまた体力が落ちます。3年間トレーニングしてきたんです。行かせてください」

彼は医師の忠告を無視し、死を覚悟でマラソンに臨んでいたのです。

 

カナダ国民、立ち上がる

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今回のマラソンはガンの研究資金を集めることが目的でした。

目標金額2億円。しかし、実際に集まった募金総額は1/4の5000万円でした。

「僕のせいだ。僕が最後まで完走しなかったからお金が集まらなかったんだ。もう少し僕の体がもっていれば・・・」

しかし、この病院でのインタビューの様子がテレビで放送された直後、カナダの各地でカナダ国民が立ち上がります。

「テリーの意志を受け継ごう」

町には募金箱を持ち、通行人に募金を呼びかける人々の姿が溢れかえりました。

そしてその運動はものすごい勢いで広がり、カナダ全土へとみるみる広がっていきました。

「動けないテリーの代わりに、私たちが彼の想いを実現させよう」

テリーがマラソンをリタイアしてわずか2週間。

目標の2億円を大きく上回る50億円もの募金が一気に集まってしまったのです。

 

人生に遅すぎることはない、あなたにできないことはない

「カナダのみんな、ありがとう・・・」

テリーはそのニュースを聞いてまもなく亡くなります。

享年22歳。

二十歳そこそこの青年が、人々の心を動かし、50億円ものお金を集めたのです。

そのお金は後のガン治療研究の発展に大きく寄与しました。

テリーがマラソンを思いついたのが18歳。

死ぬ4年前から人生が始まった人がいるということ。

そしてそれを成し遂げたのは、右足を失った青年だったのです。

偉大なことを成し遂げる人の条件とは?

天才と凡人の違いは?

彼の人生は大切なことを僕たちに教えてくれるように思います。

 

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