あなたはいくつ知っていますか?”和食”にまつわるあれこれ100のこと

2013年には世界無形文化遺産にも登録された和食は、世界中を見渡しても他に類を見ない固有の特徴がたくさんあります。

今回はそんな和食に関するあらゆる事柄の中から100個のことを選び、一覧にしてみました。

まだまだあなたも知らない意外な事実があるかも?

 

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体に良いのは、”少し欧米化した和食”

01. 「和食」という言葉は明治以降にできた

02. 明治以前の日本料理には天ぷらを除いて油料理がほとんどなかった

03. 明治時代の日本人はナイフとフォークに慣れておらず、口の中を切って血だらけになったと記録されている

04. 昭和31年にアメリカから初めてスーパーマーケットが日本に入ってきた

05. 日本に初めて上陸したファーストフードはKFCで、昭和45年に名古屋で一号店を開いた

06. 昭和44年に大阪にマイショップという初めてのコンビニが誕生した

07. 現在の日本人の摂取カロリー量は戦後直後よりも少ない

08. 1975年頃の”少し欧米化した和食”がもっとも体に良いとされている

 

昔はマグロは下魚とされていた

09. ごぼうを食べるのは日本人だけ

10. 日本が原産とされる野菜は、数えるほどしか確認されていない

11.その中には「みょうが」「みつば」「わさび」「うど」「自然薯」などがある

12. 千利休が作った「麩の焼き」という食べ物がお好み焼きの元祖と言われている

13. ごまをつけて焼いた料理を「利休焼き」というのが、これが千利休がごま好きだったという言い伝えから来ている

14. 節分の恵方巻きはもともとは大阪の遊郭で行われた下品な遊びが発祥。これをコンビニが広めた

15. マグロのトロは昔は捨てられていたが、昭和に大学生が食べ始めてから価値が上がっていった

16. 「大根役者」は大根を食べると食あたりをしない、「当たらない(人気が出ない)役者」という意

17. 「土用の丑の日にうなぎを食べる」というのは平賀源内が考えたうなぎ屋の宣伝文句

18. 関西で「肉まん」ではなく「豚まん」と言うのは、関西で”肉”というと牛肉を意味することから

19. 「冷やし中華」「天津飯」「エビチリ」は、いずれも日本にしかない日本式中華料理

20. 肉じゃがはカレーと同じ材料を使ってできることもあり、軍隊の食事に採用されていた

21. 日本のカレー粉の消費量はインドに次いで世界第二位

 

日本最古の料理書は鎌倉時代のもの

22. 食事の前後に「いただきます」「ごちそうさまです」と言うのは日本だけ

23. 塩には海塩と岩塩があるが、日本はすべて海塩で岩塩がとれるところはない

24. 日本は単位面積当たりの農薬の使用量が中国に次いで世界で二番目に多い

25. 日本の農産物の有機栽培のシェアは0.2%なのに対し、イタリアでは8.6%

26. 日本では7世紀頃から箸の利用が始まったが、匙(さじ)の利用は浸透しなかった

27. 16世紀に来日したイタリアの宣教師は日本人の食事について「慣れるまでに多くの努力と苦痛を経なければならぬ」と記している

28. 日本料理が見た目にこだわるのは「神撰料理」という神様をもてなすために料理を美しく見せることに始まっている

29. いまも受け継がれる日本料理の最高峰「懐石料理」は戦国時代にすでに成立していた

30. 鎌倉時代に中国からすり鉢が伝わることにより、味噌汁が誕生した

31. 現在に伝わる料理書で最古のものは、鎌倉後期(1300年以前)に成立したと考えられている「厨事類記」という本

 

2002年に証明された”うま味”の存在

32. 日露戦争時、日本陸軍では戦死者4万7千人に対し、ビタミンB1不足による死者が2万7800人も出た。

33. 一方、海軍では軍医・高木兼寛の提言により食事を改善したことによりビタミンB1欠乏者がほとんど出なかった。

34. 世界で初めてビタミンを発見したのは日本人の鈴木梅太郎。もしかしたら「ビタミン」ではなく「スズキ」になっていたかも?

35. 世界で初めて「栄養学校」を作り、栄養士の養成を始めたのは日本人の佐伯矩。

36. 第五番目の味「うま味」は日本人が発見したが、当初世界に認められなかった

37. うま味のもととなる物質自体は海外ですでに発見されていたが、それがうま味を持つことを見つけたのは日本人

38. うま味の存在が科学的に証明されたのは2002年

 

昆布は自然に存在する最強のうま味食材

39. 日本料理の最大の特徴は独自のうま味をもつ出汁の利用にある

40. 一般家庭で出汁がとれるようになったのは昭和以降

41. 日本の出汁をとる昆布の95%が北海道産

42. 昆布に含まれるうま味成分(グルタミン酸)の含有量はずば抜けて多く、自然界にこれほどうま味成分を提供できる食材は他にない

43. 実は日本よりも先にモルディブで14世紀に鰹節が作られていた

44. 鰹節にカビをつけて発酵させた「本枯れ節」は世界一硬い食品と言われている

45. 日本の昆布や鰹節を海外に持っていっても、水が違うため出汁の味や香りが変わってしまう

46. 関西で「昆布出汁」関東で「鰹出汁」と言われるようになった一つの理由は水の違い

47. うま味の出る温度は昆布が60℃、鰹節が85℃

 

鮨はもともと発酵食品だったものを即席にしたもの

48. 国産大豆を使った醤油は全体の2%しかない

49. 関西で広く用いられている淡口醤油は、17世紀末に兵庫県で圓尾家が考案した

50. 「味噌」という漢字は日本にしかなく、「にぎやかな味を持つもの」という意味である

51. 日本で初めて味噌工場を作ったのは仙台藩の伊達政宗

52. 石川県にはふぐの卵巣を二年以上ぬか漬けにすることによって無毒化した発酵食品がある

53. なお、上記の無毒化の仕組みに関してはいまだ未解明な部分が多い

54. 鮨はもともとは発酵食品だったものが江戸時代に入り、すぐに食べられる料理に発展した

55. 刺身は切るだけの料理だが、切り方で美味しさが変わる。そこから「切れ味」という言葉が生まれた

 

ごはんを噛んで吐き出し、放っておくと酒になる

56. 弥生時代はごはんを口に含んで噛んで吐き出したものを発酵させて日本酒を作っていた

57. 日本酒は世界一アルコール度数の高い醸造酒

58. 昔は関西で作られる酒が最上とされ、”江戸に下ってこないものは良くないもの”ということから「下らないもの」という言葉が生まれた。

59. みりんは江戸時代、関東では「本直し」、関西では「柳蔭(やなぎかげ)」と呼ばれ、冷酒で飲まれていた

60. 日本酒を発酵させる過程でモーツアルトなどの音楽を酒に聞かせると美味しくなるとされている

61. 日本酒用のお米として「王者」と呼ばれる山田錦は、8割が兵庫県で生産されている

62. 酢は酒を発酵させたものである

63. 現在、酒粕やおからはかなりの部分が産業廃棄物として捨てられている

 

牛乳が大嫌いだった日本人

64. 飛鳥・奈良時代には「蘇」「酪」「醍醐」というバターやチーズのようなものが食べられていたが、その後姿を消す

65. 江戸時代の宣教師のクラッセは「(日本人は)牛乳を飲むは生き血を吸うがごとしとしてあえて用いず」と記録している

66. 現在の日本では、牛乳を含まない給食は「完全給食」と呼ばない

67. 日本の乳牛の9割が「つなぎ牛舎」という、牛を固定、つなぎ留めて飼育する方式がとられている

68. 他の東アジア・東南アジアの稲作文化圏には豚肉を食す文化があるが、日本には見られない

69. 675年に天武天皇が「肉食禁止令」を出し、これ以降明治維新まで日本食では一部の例外を除いて肉食が忌避されるようになる

70. 明治に入り明治天皇が肉食再開宣言をすると、これに反対して市民が皇居に侵入しようとして四名が射殺された

71. 福沢諭吉は積極的に肉食を推進した

72. 昭和63年に初めてたんぱく質の供給量として肉が魚を上回った

 

江戸の人は超グルメだった?!

73. 江戸時代に初鰹を食べることが社会現象になって高騰。「女房を質に入れても食え」とまで言われた

74. 18世紀の江戸時代にはすでに料理教室が存在した

75. ミシュランガイドブックよりも100年以上前に江戸で料理屋を格付けするガイドブックが出版されていた

76. 江戸時代もっとも人気を博した料理店が「八百善」で、現在も惣菜やおせちを販売している

77. 江戸の町には男の独り者も多かったが「自分で料理をしなくても三度の食事に困らない」と記されるほど中食・外食が充実していた

78. 江戸時代に豆腐料理レシピを100個載せた「豆腐百珍」がベストセラーになった

79. その後「甘藷(いも)百珍」「海鰻(はも)百珍」「蒟蒻(こんにゃく)百珍」と百珍シリーズが続けて出版された

80. 19世紀の江戸時代には大酒・大食い大会が大流行した。

 

縄文人は現代人よりもベジタリアンだった

81. 江戸時代には米を国家経済の基礎におくという世界にも類を見ない社会体制がとられていた

82. 日本で初めてパンを見た人は種子島の領主の種子島時尭(1543年)

83. 1860年に横浜で初の日本人によるパン屋が開店した

84. 木村屋はパン生地の発酵に日本酒の酵母を用い、日本人好みのあんパンを完成させた

85. 戦前まで沖縄ではほとんど米は食べられていなかった

86. 農業を始める前の縄文人もかなりの糖質をとっていた

87. 縄文人はカロリーのほぼ80%を植物食によって得ていた

88. 京都府の京丹後市には”稲作発祥の地”との伝承が残る「月の輪田」という場所がある

89. 日本での稲作の歴史は遅くとも2400年前に始まっていた

 

日本の食事の中心にはいつも”お米”があった

90. 「ごはん粒を残すと目が潰れる」という戒めは、稲が神様の目から生まれたことに由来している

91. その神様の耳から粟、鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆が出現し、これらが「五穀」となった

92. 「シャリ」とは、お米を尊い仏の骨に見立てた呼称である

93. 花見は山から里に下りてきた山の神を迎え、豊穣を祈る行事だった

94. 相撲はもともと農作物の収穫を占い、祈願する儀式だった

95. 勤労感謝の日は本当は「新嘗祭」という天皇陛下御自らが新穀を神様に奉るもっとも重要な祭祀の日

96. 明治時代に発行された「馬鹿の番付表」の大関に「米穀を食わずしてパンを好む日本の人」と書いてある

97. 大正時代の日本人は一日にごはんを四合食べていた

98. 日本人が腹いっぱい白いごはんを食べられるようになったのは1960年代以降(それまで雑穀や大根などを混ぜた飯が主流だった)

99. 1965年にピークに達したお米の消費量は、現在半分以下に落ち込んでいる

100. お米を中心に成立した和食の国、日本では現在お米を食べない健康法が流行っている

 

 

今回は100個と数が多かったので、一つひとつについての情報は詳細な解説はあえて省きました。

「え、どういうこと?」と興味を持った事柄に関しては、ぜひ自分で詳しく調べて確認してみてくださいね。

 

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