余計なものを削ぎ落とした先には何がある?

古民家カフェ_413

こんにちは。管理栄養士の圓尾です。

 

着物を着ていると、いろんなことを聞かれます。

 

「えっ!毎日着てるんですか?」

とか

「家でも着てるんですか?」

とか。

 

言葉には出ないけど、その後には「それって面倒じゃないの?!」という台詞が聞こえてきそうです。

 

実際には、だいぶ慣れてきたので、それほど大変でもなく、面倒でもないのですが、

たしかに、あらゆるものの様式が洋服に合わせられている現代では、わずらわしさを感じる時もあります。

 

でも、着物を着ると、洋服では味わえない心地よさを味わうことができるので、ちょっとした面倒も気にならなくなったり、

そのわずらわしさをどう解消するかって考えてみるのも楽しかったりします。

 

 

で、このわずらわしさを楽しむということを考えてて思ったのですが、

いわゆる明治維新後の”近代化”の流れには、「無駄なこと、余計なもの、わずらわしさを排除する」という側面が大いにあったと思うんです。

 

着物もその一つなのかもしれませんし、

食べものもそうで、たとえば、醤油を一つ一つの蔵で、手作りで作っていたら、たくさん作れないし、品質も安定しない。

だったら工場で機械を入れて、大量に原材料を仕入れてポンポン大量生産してしまおう、とか、

 

日本酒は雑味がなく、スッキリとした味わいが良いのであって、余計な雑味が抜かれた辛口の酒こそ極上の日本酒だ、とか、

 

玄米や雑穀なんて美味しくない。精米して銀色に光った白飯を食べることこそ豊かさの象徴だ、とかいった具合です。

 

 

もっと言うと、そもそも家で料理なんてしていたら時間がなくなる。

その時間をもっと仕事にあてれば、会社の売り上げは上がり、みんなの給料も上がって経済が発展し、世の中が豊かになっていく。

 

そうだ、そのためにお金を出して他の人にごはんを作ってもらう!

そういう形で中食や外食も発展してきました。

 

でも、果たしてその先に本当の意味での豊かさはあったのでしょうか。

終わりなき効率性、利便性、機能性の追求の果てに僕たちが得たものは何だったのでしょう。

 

 

一見無駄なように見えるものに、価値があることに気づく。

世の中は今、その転換点にあるように思います。

 

別にすべて昔に戻すことが良いとは思わないけど、行き過ぎた部分をちょっとずつ戻していく。

てまひまをかけられることが贅沢であり、

余計なことを楽しむことのできることが心の豊かさである。

 

玄米を精米して、白米にする過程で取り除かれた部分に、実は栄養が詰まっていたように、

僕たちがこれまで削ぎ落としてしまったもの、その中にあったものをもっと大事にしようよ、そんな人が増えていくのではないでしょうか。

 

冒頭の着物でいうと、たしかに、洋服をベルトでカチャカチャっと留めるのは楽なのですが、着物をキュキュッと帯で締める方が、朝から気合いが入って僕は好きなんです。

 

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