薄口醤油を作ったのは兵庫県龍野の圓尾(まるお)さんだった?!
前回、醤油の分類について書いたのですが、その中の一つ薄口醤油は兵庫県の龍野で生まれた醤油です。
そして、この薄口醤油を発明した人の名前が「円尾孫右衛門(まるおまごえもん)」という人。
実はこの「円尾」の「円」の旧字体が「圓」で…、つまり僕の名字と同じなのです。
僕はこれを知った時、昔おばあちゃんから聞いたあることを思い出しました。
「圓尾家は昔、龍野という場所で醤油造りの職人をしとったんやで」
ま、まさか僕のご先祖様は薄口醤油の発明者?!
そもそも「圓尾」という名字は龍野にしかないをもつ非常に珍しいもので、現在日本に50世帯ほどしか現存しないそうです。
それを考えると、僕の祖先が円尾孫右衛門さんである可能性は大いにあるのでは。
さあ、今回はそんな龍野の薄口醤油の歴史をご紹介します。
薄口醤油を作ったのは龍野の圓尾さんだった?!
実は今年(2015年)の始め、僕は自分のルーツを探しに、単身龍野を訪れました。
実際にそこで見たり聞いたりしたことも含めてご紹介していきます。
龍野が持つ完璧なまでの地理的条件
龍野は、現在、兵庫県たつの市となっています。
播磨の小京都とも呼ばれ、NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」でも登場した龍野城というお城があった町で、今なお城下町の面影が残る場所です。
そしてこの龍野には、素麺の「揖保乃糸」で有名な揖保川が流れています。
この揖保川の軟水、そして播磨平野の小麦、山間部の大豆、さらには赤穂の塩という役者が揃ったことで、龍野は醤油の名産地として栄えたのです。
もともとは酒造地だった龍野
龍野はもともとは日本酒の名生産地で、一時はあの灘を凌ぐほどだったと言われています。
そんな龍野で武士だった圓尾孫右衛門が商人をはじめます。
日本酒を作るのも醤油を作るのも、どちらも麹を用いた発酵を要するため、酒造業の副次的なものとして醤油醸造を始めたのが最初だそうです。
抑えめの香りの薄口醤油は、素材の味を活かす上方の料理の特性を上手く引き立てるとして好評を得、揖保川の水路という地の利も活かし、京都、大阪、そして江戸へと大量に卸されるようになります。
こうして龍野は、日本を代表する醤油の一大生産地としての地位を確固たるものにしたのです。
【 参考 】薄口醤油は、色が薄いが塩分は濃い 醤油の種類別特徴を解説
まとめ
自分のルーツを調べた時におもしろかったのが、家系をたどると、漁師や米屋など、食べ物に関する職業についていた人が多かったこと。
僕も今管理栄養士として仕事をしていることを思うと、偶然ではなく、やはり血は争えないのだなと思いますね。
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