着物で240日間生活してみた僕が、うまい返答が見つからないフレーズ5つ
皆さん、こんにちは。管理栄養士の圓尾(まるお)です。
(はじめての方は、こちらからどうぞ)
去年の冬から少しずつふだんぎ着物生活を始め、毎日着物で生活するようになってから八ヶ月になりました。
日々着物で生活していると、嬉しいことも悲しいことも含めていろんな体験をさせてもらえます。
今回は人との会話の最中、よく言われることで、何と答えたら良いのかわからない、というか、「誰か良い答え方教えて!」って思うようなフレーズを五つ紹介してみようかと思います。
誰得?って感じのテーマですが、軽い読み物として、よろしければ、お付き合いください。
着物で240日間生活してみた僕が、うまい返答が見つからないフレーズ5つ
壱、「スゴいですね」
「えっ、今日は何かあるとかではなくて、普段から着物なんですか?スゴいですね!」
「いや〜…そんなことないですよ、ハハ」
これはよく言われるのですが、当の本人はスゴいとも何とも思っていません。
日本で表を歩く上では、何らかの衣服を身につける必要があります。
その時、選択肢は二つです。
洋服か和服か。
僕は、たまたま和服を選んでいるだけです。
ラーメン屋に入って、醤油ラーメンを頼むか塩ラーメンを頼むか。
別に塩ラーメンを選んでもスゴくも何ともない。例えるとすれば、そんな感じです。
多分、「スゴいですね」と言われる理由は、着物を着て生活をすることが、洋服を着て生活するよりも難しいという思い込みがあるのだろうと思います。
僕にとっては着物を着る方が楽です。
弐、「徹底してますね」
「ホントにずっと着物なんですか?」
「そうですね〜、寝る時も浴衣ですし、プライベートも、仕事も支障がなければ着物ですね」
「へえ〜、徹底してますね!」
「いや〜…ハハ」
僕に”徹底している”という意識はまったくありません。
それを言うと、世の中の大半の人は”洋服を着ることを徹底している“ということになります。
でも、そこに別に「徹底している」という意識はないはずです。
僕が着物を着る感覚もそれと同じ。
「えッ!三食ごはんなんですか?徹底してますね!」
「えッ!一杯目はいつもビールですか?徹底してますね!」
「えッ!カフェでは必ずブラックコーヒーですか?徹底してますね!」
もうくどいですね笑。
ただ好きだからいつも着ているだけ。ただそれだけなんです。
参、「何着持ってるんですか?」
「着物って何着ぐらい持ってるんですか?」
「えーっと……。数えてないですが、結構持ってるかな〜。ハハ」
これも聞いてしまう気持ちはわかるのですが、ちゃんと数えていません。
着物って高そうな印象持っている人が多いですよね。
確かに新しく仕立てるとそれなりにしますが、中古品であれば、それこそ数千円から手に入ります。
着物が良いのは、ワンピースみたいに一着で上下揃うことだったりします。
さて、皆さんは「洋服を何着持っていますか?」と聞かれたら、何と答えるでしょう。
正確に「●着です!」と答えられる人はまれだと思います。
四、「うまくブランディングできていますね」
「圓尾さん、着物でうまくブランディングできていますね」
「いや〜、ハハ……」
これも勘違いされがちなのですが、僕は別にブランディングなんかのために着物を着ているわけではありません。
もしブランディングで着物を着たいという人がいたら、どうぞ挑戦してみてください。
おそらく挫折すると思います。
ぶっちゃけて言うと、着物で生活するのは、慣れるまではマジで大変です。
着物を着るために必要な品物を一式揃えるところから、
着付けのやり方、TPOに合わせた着物の選び方、
着崩れた時の対処、お手洗いでの用の足し方、
足さばき、雪駄での歩き方、袖の扱い方、
階段の昇り降り、混雑する電車やバスの中での所作、
食事をする、料理をする、洗濯、たたみ方、などなどなどなど、、、、、
洋服での生活に慣れきり、道路や家具など、社会の施設等の環境も洋服に合わせたものになった現代において、着物で生活を始めることはそれなりに大変です。
僕も最初はメッチャ苦労しましたし、
恥ずかしい思いもいっぱいしました。
じゃあ、なぜそこまでして着物で生活してみようと思ったか。
それはただ単に「おもしろそうだから」という理由です。
「江戸時代の人が毎日生活していた衣服で暮らしてみたら、どんな世界が見えてくるんだろう」
ただそれを確かめてみたかっただけという、中二病丸出しのバカみたいな理由です笑。
結果的にブランディングになっているかもしれませんが、誰も見ていないところでも着物で生活している僕にその意識はまったくありません。
五、着方に対するあらゆる批評
僕が着物着ていて一番大っ嫌いなのが、人の着方に対してグチグチ文句を言ってくる人です。
「着物たるもの、こうあるべき」という主張をする人。
確かに冠婚葬祭で着るような由緒正しき格式高い着物は別です。
そこは伝統を守っていかないといけない。式服の着方まで崩れ始めると、由々しき問題だと思います。
でもね、普段着の着物に決まりなんて必要でしょうか。
いろいろ考えはあると思いますが、僕はまったく必要ないと思います。
今ある着物だって、時代とともに変化してきたものです。
それが昭和ぐらいからみんな洋服を着るようになり、進化が止まってしまった。
着物も、現代に合わせて進化して行くほうが自然だと思います。
化繊の浴衣があっても良いし、帯の位置が高かろうが、結び目が中心にきてなかろうが良いじゃないか。
女性が髪をおろして着物を着たって、ブーツ履いたって、男みたいな帯を締めても良いじゃないか。
その人は基本を知った上でそうしているのかもしれないし、何にも知らずにそうしているのかもしれない。
でも、本当におかしいものは日本人の美的センスが自然と淘汰してくれるはず。
結局、それを”カッコ良い”と思う人が多くなれば、残るだろうし、”ダサいよね”と思う人が多ければ廃れるだけ。
ファッションはそうして発達してきたはず。
これまでだって、これからだって。
そして、
街中で平気で人の衣服についてけなしたり、あまつさえ、勝手に触れて直そうとしてくる人。
もう着物うんぬん関係なく、非常識極まりないです。
じゃあ、あなたはスーツ姿の男性をつかまえて、「ちょっとあなた。ネクタイの締め方がおかしいわよ」と勝手に首元に手を伸ばして締め直すのですか?
着物を特別扱いしないでもらいたい。
そんなことすると、余計に着物離れが進み、滅んでいくだけです。
意見を述べるのは良いと思うんです。
それは洋服だって、女性の露出が多いカッコはみっともないとか、男性でレギンスを履いたりマニキュアをするのは賛否両論あると思います。
ただ、それは勝手に思っていれば良いだけで、わざわざ面と向かって指摘したり、自分の価値観を押し付ける必要はありません。
もっと着物は自由でいいはずだ。
“着る物”と書いて着物なのだから。
まとめ
とにかく毎日着物を着ていると、面倒なことが多いです。
その面倒なことは、着物そのものに関することではなく、周りの人からどう思われるかという苦労です。
でも僕はいつもそんな面倒にあった時、スタジオジブリ作品「耳をすませば」の雫のお父さんの台詞を思い出すようにしています。
「雫、人と違うことをするのはそれなりにしんどいぞ」
そう、現代において洋服と和服は自由に選べることは間違いないのですが、世の中の99.999……%の人が洋服を選んでいるこの世界で、和服を着て生活することは明らかに”人と違うこと”をしているのです。
自分からそれを理解した上でその選択をしているのだから、多少の面倒は受け入れるべきだ。
最近ではそんな、良い意味での諦めができるようになってきました。
着物を着て生活することのワクワク感、快適さ、心地良さは、そのあらゆる面倒を差し引いたとしても、何物にも代えがたいものなのだから。
だから僕は今日も、誰かに後ろ指を刺されながら、何着持っているか把握していない着物を、普段から徹底して着るというスゴいことをしてブランディングをしていくのです笑。