「昔の日本人は本当に肉を食べていなかったのか」その真相とは
欧米や他のアジアの国と違い、日本では長らく肉を食べてこなかったとされています。
近代になって「牛鍋食わねばひらけぬやつ」と言われたように、
明治維新とともに日本人は肉を食べるようになっていきました。
では、そもそもなぜ、日本人は肉を食べてこなかったのでしょう。
そして、本当に肉を食べていなかったのでしょうか。
今回は、日本人と肉食の歴史を紐解いていきたいと思います。
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「昔の日本人は本当に肉を食べていなかったのか」その真相とは
昔の日本では、イノシシやシカが食べられていた
旧石器〜縄文時代頃は、日本全国で狩猟によって肉は食べられていました。
その時代の地層から、イノシシやシカの骨が出土しています。
しかし、ウシ、ウマ、ヤギ、ヒツジなどの骨は見られず、
これらの動物は後になって大陸から渡来したみたいです。
また、この時代の食生活というと、みんなで斧を持ってマンモスを追いかけているような光景が浮かんできますが、
実は食生活の大部分はクリやドングリ、クルミなどの植物で、実に摂取カロリーの80%が植物食によって占められています。
糖質制限推進者に「昔は狩猟によって食生活は肉が主体で、糖質はとっていなかった」と主張する人がいますが、あれは誤りです。
675年、天武天皇から肉食禁止の勅令が出される
六世紀の後半、日本に仏教が伝わります。
仏教に食べもののタブーはありませんが、生き物を殺すことは避ける(なぜか魚介類は例外)という教えがあります。
そして、飛鳥時代の天武天皇はこの仏教を厚く信仰しており、
675年に「殺生肉食禁止の詔(みことのり)」を発令します。
これが今後1200年以上も続くことになります。
同じく仏教が伝えられていた中国や朝鮮では、肉食は禁止されていません。
これには、日本の土着信仰である神道の考え方も影響しているのではないかと言われています。
邪馬台国の記述が有名な、中国の「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」にも、
「日本人は身内がなくなると、十日間余りは肉を口にしない」と記されています。
つまり日本人は、仏教が伝わる前から「肉食は穢(けが)れに繋がる」という考え方があったようです。
完全に肉食が禁止されたわけではなかった
殺生肉食禁止の詔が発令されたからといって、完全に肉食をしなくなったわけではなかったようです。
というのも、この詔で禁止されているのは、あくまでも「ウシ、ウマ、イヌ、サル、ニワトリ」に限られています。
日本人にとって神聖な食べものでもあるお米を作る稲作に関係する動物や、
人間に近い動物、あるいは人間にとって益をもたらす動物の殺生と食べることを禁止したのです。
ここには野生動物が入っていないのが着目すべき点で、
これ以降も完全に肉食がなくなったわけではないようです。
しかし、依然として日本人の精神の中には「肉食は穢れにつながる」という意識は根強く、
正式な儀式の場での食事などには、肉は一切登場しませんでした。
あくまでも、日常的な食生活の中心には肉はありませんでした。
「薬食い」と称して肉を楽しむ人たち
そして江戸時代になると、「薬食(くすりぐ)い」と言って、
養生のためや、病気の回復のためにイノシシやシカなどが食べられていました。
どうやら、本当に病気の治療でなくても、薬食いを言い訳に使って肉を食べる人も多くいたようで、
「ももんじ屋」という肉を食べさせる店では、イノシシ、シカの他にもクマやウサギが食べられたと言い、
江戸時代中期になると、江戸の街にも数えきれないぐらいのももんじ屋が軒を連ねていたとあります。
明治になり、天皇陛下が肉を食される
七世紀の後半から、実に1200年以上続いた肉食禁止の習慣に終止符を打ったのが、明治維新です。
1872年、明治天皇は肉食解禁の令を発令され、御自ら肉を口にされました。
この時、天皇陛下は「肉食は養生のためよりも、外国人との交際に必要だから食べたのである」と大久保利通に語っており、
鎖国を解いて、世界と交流をしていくための通過儀礼として、肉食が行われていたことがわかります。
これは当時、国民に大きな衝撃を与え、
肉食解禁から約一ヶ月後、このことに不満を抱えた十名が白装束に身を包んで皇居に乱入し、四名が射殺されるという事件まで起きています。
なかなか牛肉を食べようとしない日本人
しかし、肉食解禁がされてからも、なかなか庶民は牛肉を食べようとしませんでした。
そこで考案されたのが、牛鍋やすき焼きです。
牛肉を西洋風に料理しても受け入れられないので、醤油と砂糖を使って日本風に調理したのがこれらの料理。
牛鍋を出す牛鍋屋が開店しはじめます。
もっとも、開店した当初はお店には閑古鳥が鳴いていたようで、
たまに来る客といえば、ゲテモノ好きのガラの悪い客ばかりだったそうです。
一般人は、店の前を鼻をつまみ、目を閉じて足早に通り過ぎるというありさま。
しかし、そんな牛鍋屋も、少しずつ広がり始め、そして大流行。
東京中で牛鍋屋が繁盛しました。
庶民の間の強い”穢れ”の感覚
肉食解禁後も、庶民の間では「牛肉は穢らわしい」という意識が強かったと書きましたが、
その感覚の強さを象徴する話が残っています。
牛肉の処理上では、しめ縄が張られ、皮に近い上の方の肉のみを削り、
残りは地中に深い穴を掘って埋め、お経を上げて清められていました。
さらには牛肉を処理した道具、煮炊きした鍋、盛り付けに使った皿にいたるまで、
すべて一度使ったものは、そのつど廃棄して二度と使いませんでした。
家庭で牛肉を調理する時は、家の中では行わず、
庭にコンロを出して調理したと言います。
家の中で牛肉を食べる時は、仏壇の扉に紙で目張りをしたという話まで残っています。
まとめ
このように、完全にではないものの、日本では1000年以上にわたって肉食は行われていませんでした。
その代わり、その制約の中で肉も乳製品も使わない、鰹節や昆布のような繊細なうま味を引き出す技術が発展しました。
また、牛肉が食べられるようになってからわずか100年余りで「神戸ビーフ」などの世界に誇れる品質の牛肉が作られるようになるあたりは、さすが日本人です。
とは言うものの、戦後の日本の食事の中で、肉類、乳製品の伸び方は急激すぎます。
これだけ長い期間食べていなかった肉を急に食べるようになったら、
それは体の調子もおかしくなるのは当然なような気もするのですが、いかがでしょうか。
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【 参考 】