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  • パソコンによる目の疲れを解消! アントシアニンの宝庫、アサイー

    パソコンによる目の疲れを解消! アントシアニンの宝庫、アサイー

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    仕事でも、プライベートでも、

    現代人はかなり長時間パソコンやスマホの画面を見続けています。

     

    そこで起きてしまうのが目の疲れ

    少し休んで回復すればいいのですが、これが慢性化すると眼精疲労という症状に悪化します。

    眼精疲労はただ目が疲れるというだけでなく、頭痛、肩こり、倦怠感(だるさ)、吐き気など症状がどんどん重くなっていきます。

    それは避けたいところですが、とは言え、パソコンやスマホなしでは生活ができません。

    日常の中でうまく対策を講じるようにしましょう。

     

    今回は目の疲れを取る、注目の栄養素「アントシアニン」についてご紹介します。

     

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    目の疲れの正体

    そもそもなぜ目は疲れるのでしょう。

    ロドプシンの減少

    一つは、ロドプシンという物質が関係しています。

    ロドプシンとは、眼の網膜に存在する物質で、これが光の刺激を受けることにより脳に信号が行き、「ものが見えている」という認識がされます。

     

    しかし、このロドプシンは長時間目を酷使すると分解され、どんどん減っていきます。

    これによって目が疲れます。

    また、ロドプシンは加齢によっても減少することが知られているので、年を取るほど目は疲れやすくなると言えます。

     

    血流の減少

    パソコンやスマホの画面を見続けると、目の筋肉が緊張し続けることになり、血行不良になります。

    これにより筋肉が硬くなり、目の疲れにつながります。

     

    目を疲れさせないためには

    目の疲れは以上の二つのことが原因で起きます。

    よって、この二つの原因に対処すれば目の疲れとはおさらばできるということです。

    つまり、一つはロドプシンを減少させないこと。

    もう一つは目の筋肉への血流を良くすること、です。

     

    目の疲れを解消する強い味方

    アントシアニン

    その二つの原因にダブルで働きかけ、目の疲れを解消してくれる、魅力的な栄養素があります。

    それが、アントシアニンです。

    サプリメントで有名になったので、ご存知の方も多いかもしれません。

     

    このアントシアニンがなぜ目の疲れを解消してくれるかというと、アントシアニンには光の刺激によって減少し続けるロドプシンの再合成を助ける役割があるからです。

    さらに、目の筋肉への血流の改善効果もあり、ダブルで目の疲れに働きかけてくれるスゴい栄養素なのです。

    また、アントシアニンには即効性があり、摂取して4時間で目の疲れが十分回復することが知られています。

    しかし、摂取して24時間で効き目が消失してしまうので、健康食品(サプリメント)などで継続的にとることが、疲れ目を解消するコツです。

     

    まとめ

    仕事をする上でもパソコンは欠かせません。

    しかし、それによって目が疲れていると頭痛や肩こりを引き起こし、仕事の効率にも影響が出ますし、せっかくのプライベートも楽しむことができません。

    疲れ目の原因を知り、それを解消するためにアントシアニンをうまく取り入れて活用しましょう。

    即効性があることも嬉しいですね。

    あとは、24時間で消失してしまいますので、継続的にとることを心がけましょう。

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  • まず何から始めればいい?「健康的な食事をしよう」と思った時の第一歩

    まず何から始めればいい?「健康的な食事をしよう」と思った時の第一歩

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    食生活をより健康的なものに見直そうかなと思った時、何から手をつければいいのかを考えるのは難しいことだったりしますよね。

    アメリカの管理栄養士がこの問いに答えている記事を見つけたので、訳して紹介したいと思います。

    (原文:”How to Eat Healthy: A Beginner’s Guide“)

     

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    健康的な食事をしよう」と決心するのは簡単ですが、その後実際にどうするとなると、これは少し難しい問題です。

    スーパーの食品売り場に行って、テレビCMで有名人が宣伝しているものに始まり、たくさんの食べ物から選ぶことに頭を悩ませることになるでしょう。

    そこで私たちは管理栄養士のChristine Avantiに健康的な食生活への第一歩として何を意識すればいいのかの助言を求めました。

     

    加工食品とさようなら

    「食生活から完全に排除したいものをまず一つあげるとすると、それは加工食品です」とAvantiは言います。

    私は加工食品のことを呼ぶとき、偽物の食べ物と呼んでいます。工場で生産された食べ物は、原料に含まれている栄養素の価値を台無しにし、油と砂糖でカロリーを増やし、塩分、着色料、香料などの化学添加物によって味や食感が悪くなることを無視しています」

    ではどうすれば加工食品かそうじゃないかを見分けることができるのでしょうか。

    商品の裏面の原材料をチェックしましょう。

    5つ以上成分が書いてあったら加工食品です

     

    本物の食べ物にこんにちは!

    では、どんなものを食生活に取り入れればいいのでしょうか。

    加工されていない、生の野菜や果物です。

    本物の食べ物は活性酸素と戦う抗酸化物質が豊富です」Avantiは言います。

    「活性酸素は老化の原因になる悪者で、細胞を破壊し、細胞の再生を遅らせます。工場で作られた偽物の加工食品を避け、本物の食べ物を口にすることで、必要不可欠なビタミンやミネラル(たとえばコラーゲンを作る上で欠かせないビタミンCなど)を補充することができます。

     

    避けるべき原料

    食品を選ぶ時は、添加砂糖や、精製された炭水化物(白い小麦など)、果糖ぶどう糖液糖などを避けましょう

    また、加工された多価不飽和脂肪酸や水素添加された植物油、トランス脂肪酸も避けた方がいいでしょう。

    もし炭水化物を食べたくなったら、100%の全粒粉小麦にするようにしましょう。

     

    楽しようとしない

    私たちはみんな、好きなだけピザやクッキーを食べられるようになるように、健康的な食事を考える面倒さから逃れるための魔法の薬や食事を求めています。

    最近だと、ジューサーでスムージーを作るのが簡単な方法として流行っているようです。

    Avantiは「食事を完全にスムージーに置き換えてしまうのはあまりいい考えではありません。たんぱく質のような必須の栄養素をとれなくなってしまうからです。スムージーでは食物繊維も省かれてしまいます。食物繊維やたんぱく質、食事中の健康的な油がないと、血糖値は急上昇し、これが脂肪の蓄積を引き起こし、お腹もすぐに空いてしまいます」

     

    適宜、食事をスムージーに置き換えるのは悪くないですが、完全にすべてをスムージーに置き換えることはやめるようにしましょう。

    スムージーを摂るときには野菜の栄養素が入った粉末のサプリメントを加えるのもいいでしょう。

     

    まとめ

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    僕も管理栄養士として概ね、Avantiの意見に賛成です。

    加工食品は栄養価が失われているし、無駄なカロリーと添加物が追加されているので、なるべく避けたいものですね。

    炭水化物をとる時は全粒粉にしようというのは、米でいうと、玄米にした方がいいということですね。

    いきなり大きくがらっと食生活を変えようと思うと続かずに挫折します。

    まずは小さな簡単にできることから少しずつ変えていきましょう。

    【 参考 】 知らないと1日3回損をする?僕が白米を食べない理由

     

     

     

    ☆食べないで健康に?! 今大流行の健康法「ファスティング」とは

    こちらの記事を今すぐチェック!

  • やっぱり朝ごはんはとったほうがいい?朝食のメリット5つ

    やっぱり朝ごはんはとったほうがいい?朝食のメリット5つ

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    あなたは普段朝ごはんは食べていますか?

     

    朝ごはんは食べた方がいいのか、食べない方がいいのか

    これは専門家でも意見が分かれているところです。

     

    朝ごはんをとるのもとらないのも、双方に利点があります。

    大事なのはなぜとるのか、とらないのかということです。

     

    まずそもそもなぜ一般的には朝ごはんは食べたほうが良いと言われるのでしょう?

    今回はこちら朝ごはんをとることの利点に焦点を当て、その5つのメリットをご紹介したいと思います。

     

    ブログ筆者 管理栄養士 圓尾のプロフィールはこちら

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    1、体へのエネルギー補給

    朝目覚めた状態、それは昨夜に食べた夕飯から約10時間前後も何も食べていない状態です。

     

    英語では朝ごはんのことを「breakfast」と言いますが、

    これは「fast(断食)」を「break(打ち破る)」というのが語源になっているように

    朝起きた時は、いわばプチ断食状態です。

     

    これから長い一日を活動するためのエンジンをかける時間である朝に朝食をとると、

    体が動くために必要なガソリンを補給してあげられるという意味があります。

     

    朝にまったく何もとらないと、体を動かしたり頭を働かせるためのエネルギーが不足し、

    午前中の仕事や勉強でいいパフォーマンスを出すことができないとされています。

    ただし、朝ごはんをとらないことになれると

    朝食をとらなくても身体がしっかりとエネルギーを作れるように体質が変わっていきます

     

    ある学生を対象にした研究では、

    朝ごはんをとる習慣のある子供の方がテストでいい成績を残す傾向があるという結果が出ています。

     

    (ただ、朝ごはんをとる子どもは家庭環境や教育水準が高いからではないかという意見もあります。

    いずれにしても子どもに関しては朝ごはんはとったほうがいいでしょう)

     

    注意したいのは朝食をとるといっても朝からお腹いっぱいになるぐらいの量をとらないことです。

     

    特に洋食は脂質の割合が高く、起きたばかりの消化管に重労働を強いることになります

    脂質が少なくあっさり食べられる和食がオススメです。

     

    2、肥満防止

    朝食をとらないと、昼食の時間を迎える頃にはお腹はすっかりペコペコになります。

    これによって昼ごはんを必要以上に食べ過ぎる場合があります。

     

    しかし、胃の中に長い時間食べ物が入っていない状態からいきなり大量の食べ物が入ってくると

    体にかかる負担は大きくなります。

     

    その上、体は長い時間空腹にさらされたことでいつも以上に食べ物を求めているので、

    食べたものからより多くのエネルギーを吸収しようとし、これが肥満につながります。

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    よって、朝食を抜くと昼食に食べすぎてしまうという方はある程度朝食をとったほうが良いでしょう。

     

    加えて、食べ物を食べると代謝が上がるのですが

    この効果は朝が一番高いため(これを食事誘発性体熱産生(DITと言います)、

    朝食をとったほうが代謝を上げて痩せる効果も高くなると言えます。

     

    3、体が目覚める

    食事をすると顎を動かし、歯で物を噛むことで脳へ刺激が送られます。

    同時に体は食べ物が入ってきたことにより、胃腸が動いて消化された栄養素を吸収し始めます。

    これによって、全身の細胞に酸素と栄養が行き渡ります

     

    全身にみるみる血液が巡り、体温も上昇し、頭が働き始めます。

    朝に食事をすることで体が目覚めて脳がしっかり働くようになります

     

    4、便通が良くなる

    食事をして食べたものが腸の中に入ってくると腸の壁が引っ張られ、

    その刺激で腸が「ぜん動運動」という、大きなうねりを起こすような運動を始めます。

     

    これによって便が腸の先へ先へと送られて排便が促されます

     

    そしてこの腸のぜん動運動が一日の中で一番活発に起きるのが朝なのです。

     

    その絶好のタイミングである朝に食事をして腸に刺激を与えることは

    良い排便リズムを作る上で非常に重要です。

     

    逆にこのタイミングを逃して食事をしないと排便のチャンスを逃し、便秘にもつながりかねません。

     

    ただし、この刺激は液体をとることでも起こるので、

    たとえば僕もそうしているように酵素ドリンクと白湯のみでもきちんとお通じが来ます

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    5、食生活の調整

    今の食生活が良くないことはわかっていても、なかなか普段の食事でバランスを整えるのが難しい

    という人も多いと思います。

     

    たとえば周りとの付き合いで食事が決まってしまったり

    職場の近くにコンビニしかなくて良い食事が手に入れられないなどの場合です。

    このように食生活は自分ではコントロールしきれないことがあります。

     

    しかし、朝ごはんに関しては自分の時間で自分の好きなものを選んで食べることができる

    周りの環境に流されずに管理することが可能です。

     

    たとえば外食などではとりづらい「野菜、果物、海藻、きのこ、発酵食品」などを朝食に意識的にとりいれるようにすることで

    栄養バランスを調整することができます。

     

    まとめ

    このように、朝食をとることには数々のメリットがあります。

    これらの利点を知って「やはり朝食はしっかりとろう」と思った方はぜひ実践してもらえたらと思います。

     

    ただその一方で、実は食事をすることが好ましくない面もあります。

    今回は朝食をとることの利点ばかりを紹介したのですが、

    逆に朝食をとらないことの利点もあるのです。

    それについてもまたどこかの機会でお話できたらと思います。

     

    単純に食べた方が良い/悪いで考えるのではなく

    その裏にある考え方を理解し自分はどっちを取り入れるのかを考えてくださいね。

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  • 歴史の明暗を分けた!日本海軍と陸軍で食べられていた食事の違いとは

    歴史の明暗を分けた!日本海軍と陸軍で食べられていた食事の違いとは

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    一人の人物によって、その後の歴史が大きく変わる

    ということがあります。

     

    今回はそんな英雄の一人で、

    明治時代に活躍した軍医の話をしたいと思います。

     

    彼の名前は、高木兼寛(かねひろ)

     

    明治の、まさに日本が軍国主義を取り、

    欧米列強の仲間入りを果たそうと躍起になっている時代。

     

    彼がいなければ、日本の歴史が変わっていたかもしれません。

     

    今回は、そんな高木兼寛が果たした偉業をご紹介したいと思います。


    ※ 4月24日、初めての著書が発売になります!

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    高木兼寛が明治時代の日本を救った

    脚気が大流行

    脚気(かっけ)」という病気があります。

     

    これはビタミンB1が不足することによって起きる病気で、

    日本では江戸時代に流行し、

    江戸患い」とも呼ばれていました。

     

    なぜ江戸時代に流行ったかというと、

    それまでは玄米などの雑穀を食べていた庶民が豊かになり、

    精製された白米を食べるようになったことがきっかけです。

     

    白米は玄米に比べて栄養素が低いため、

    ビタミンB1が不足して脚気を患う人が急増しました。

     

    脚気にかかると、

    最初は体がだるくなったり、食欲不振になります。

     

    そしてやがては神経障害を引き起こし、

    ついには呼吸不全、心不全によって

    死に至るという恐ろしい病です。

     

    しかし、当時は

    これが栄養素の不足によって起きているなどとは

    誰も考えていませんでした。

     

    船員がバタバタと脚気に倒れる

    明治時代になり、

    日本も諸外国にならって軍隊を作りました。

     

    この頃は脚気は原因不明の病で、

    軍隊においても深刻な問題になっていました

     

    たとえば海軍の戦艦(龍驤(りゅうじょう))が

    272日の航海に出た際、

    船員376人中、約半数の169人が脚気にかかり、

    そのうち25人が死亡しています。

     

    これほど深刻な被害をもたらしていた脚気ですが、

    なんと欧米の軍艦ではまったく発生していませんでした

     

    このことから、海軍軍医の高木は

    脚気の原因は食事にあるのではないか

    と考えるようになります。

     

    海軍と陸軍の食事

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    高木は自分の説を確かめるため、

    白米に大麦を混ぜてみることにしました

     

    すると、これを試した「筑波」という軍艦では、

    287日の航海中、船員333人に対し脚気にかかったのはわずか14人、

    死者にいたってはゼロという結果が出たのです。

     

    この結果を受けて海軍では食事が改善され、

    脚気で倒れる船員はほとんどいなくなりました

     

    しかし、信じられないことに

    陸軍ではこの海軍におけるめざましい成果を

    一顧だにせず、無視し続けました

     

    同じ国の軍隊にもかかわらず、

    陸軍ではまったく食事に手を加えられることはなかったのです。

     

    その後の日清戦争では、陸軍において、

    戦闘により1270人の死傷者が出てしまったのですが、

     

    戦闘が原因でない脚気による死者数は

    なんと4064人に達しました

     

    戦闘による死者よりも、

    栄養不足で亡くなった兵士の方が圧倒的に多かったのです。

     

    一方、海軍では脚気による死者数はゼロ

    それどころか、脚気にかかったものすら一人もいなかったのです。

     

    同じ時期の、同じ国の軍隊にもかかわらず、です。

     

    日本陸軍はその後も食事はまったく改善されず、

    次の日露戦争では、戦死者4万7000人に対して、

    脚気患者は21万1600人で、

    そのうち死者は2万7800人を数えています

     

    言うまでもなく、

    海軍では脚気患者すらほとんど出していません。

     

    なぜこんなおかしなことが起きたのでしょうか。

     

    医学はドイツが本流

    なぜ陸軍では食事がまったく改善されなかったのか。

     

    海軍での成果が共有されていなかったわけではありません。

    成果は伝わっていたのですが、

    完全に無視され続けていたのです。

     

    その理由は、

    高木が医学をイギリスで学んでいたからです。

     

    当時の日本では「医学はドイツ」という風潮があり、

    権威ある医師はみなドイツ留学者で占められていました。

     

    高木は医学の本場ドイツで学んでいないからという理由で、

    世界では高木の功績が高く評価されていたにもかかわらず、

    国内ではまったく認められていませんでした。

     

    当時の陸軍には医師としてだけでなく、

    文豪としても有名な森鴎外もいましたが、

     

    彼らは「脚気は伝染病である」との主張を曲げず、

    栄養不足だとする高木の考えに見向きもしませんでした。

     

    その結果、当時の日本陸軍は戦闘以外のところで

    多大な犠牲を払うことになったのです。

     

    高木の功績が評価されたのは、死後時間がたってからでした。

     

    まとめ

    このエピソードはいろいろ学びが隠されています。

     

    高木の時代から100年たっているとはいえ、

    現代においても栄養学はまだまだ発展途上、未知の部分が多いです。

     

    概して新しい考え、新しい理論は

    それまでの常識からすると

    突拍子もなく見えることがあります。

     

    しかし、今までの常識だけで情報を捉えていては

    大きな発見はありません。

     

    今日でも次々に新しい健康法や栄養の情報が

    飛び交っていますが、

     

    それを頭ごなしに否定するよりも、

    真実を見極めようとする目が必要です。

     

    僕も偏見を持ったり、食わず嫌いにならずに、

    まず興味を持って情報を知ることを大事にしていきたいです。

     

    新しい変化を受け入れられなくなり、

    盲目的になることほど怖いことはないのですから。

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  • 歴史を知れば理由が見えてくる!日本人はなぜ、パンを食べるようになったのか

    歴史を知れば理由が見えてくる!日本人はなぜ、パンを食べるようになったのか

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    現代では、日本人が食事でパンを食べることは別段珍しくもない光景ですが、

    2000年以上ある歴史の中で日本人が日常的にパンを食べ始めたのは、戦後に入ってからのことです。

     

    日本人はそれまでの歴史上食していなかったパンを日常的に食べるようになりました。

    これは日本人の食生活の歴史上、特筆すべき出来事です。

     

    この急激な変化はいかにして起こったのか。

    今回のその裏側に迫ってみます。

     

    当ブログ執筆者のプロフィールはこちら

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    歴史を知れば理由が見えてくる!日本人はなぜ、パンを食べるようになったのか

    日本の食は戦後に大きく変わった

    今回の記事では、日本人がいかにしてパンを食べるようになったのかを、歴史を振り返りながら紹介していきたいと思います。

     

    日本の食生活は太平洋戦争を機に、大きく変わります

    その中心となったのが、主食の変化でした。

     

    それまでは主食といえばお米が当たり前でしたが、そこにパンやパスタなどの小麦製品が入り込むようになります

     

    他にも肉や卵、牛乳といった食の欧米化も伴ってくるのですが、

    主食として何を食べるかによっておかずは影響を受けるので、

    この変化はすべて主食に小麦が入り込むことによって起きたと言えます。

     

    たとえば、朝食にパンを食べようと思った時に、あなたはおかずに何を選びますか?

     

    バターを塗ったトーストによく合うものといえば、

    ベーコンエッグ、ソーセージ、スクランブルエッグ、サラダ、牛乳、ヨーグルト、チーズなどですよね。

     

    トーストには焼き魚も、納豆も、味噌汁も、おひたしも漬物も緑茶も合わないのです。

     

    このように、主食がパンに変わったことが中心となり、他の食品にまで変化が連動的に起きていきます。

     

    肉を11倍、乳製品を23倍食べるようになった

    農林水産省発表のデータでは、1960年代と2000年代とでは米の消費量が半分にまで減っています

     

    しかし、その一方で消費量が飛躍的に増えている食品があります。

    次のデータは、戦前の昭和初期と戦後の昭和58年を比較したものです。

     

    ・肉類・・・11倍に増加
    ・卵・・・6倍に増加
    ・牛乳、乳製品・・・23倍に増加
    ・油脂類・・・20倍に増加

     

    このように、特定の食品の消費量がものすごい勢いで増えているのがわかります。

     

    世界史で見ても、わずか数十年でこれほど急激に食生活が変わった例はないでしょう

     

    それほど日本の食生活の変化は劇的でした。

     

    では、いよいよその変化を生み出した原因となるパン食の歴史に話を移しましょう。

     

    食糧大国アメリカの大胆な小麦戦略

    現在、日本の小麦の自給率は10%以下で、そのほとんどを輸入に頼っています。

     

    世界の中で見ると、第四位の小麦輸入国(FAOSTAT 2007年より)で、輸入先の半分以上がアメリカです。

     

    今でも日本が小麦の大部分を輸入しているのがアメリカ

    日本にパンが広まったのは、このアメリカの影響が大きいのです。

     

    アメリカを除く世界中で食糧が不足していた

    アメリカは第二次世界大戦中、ほとんど本土攻撃を受けることなかったため、

    戦争中も国内の農業は安定して成長することができました。

     

    一方で、ヨーロッパでは激しい戦禍に見舞われ、食糧不足が起きていました。

     

    アジアも同様で、それによって深刻な食糧不足があり、世界的に大きな食糧の需要が生まれていました。

    その需要を満たしたのがアメリカです。

     

    世界中で食糧が必要になっている中、アメリカはその需要に応えるために国をあげて農業の大規模化、機械化、効率化を進めました

     

    その結果、アメリカは膨大な食糧の需要に応えることに成功し、アメリカが世界の食糧難を救っていったのです。

     

    状況が一転し、逆に食糧余りの状態に・・・

    しかし、1945年に戦争が終わると状況は一変します。

     

    アジアでは戦いが終わったことにより、兵士たちの食糧が必要なくなりました

     

    一方、ヨーロッパでも農業が復興し、アメリカに頼らずとも自国で食糧がまかなえるように回復したのです。

     

    これにより、アメリカは困ります。

     

    それまで多額に資金を投資し、大量の農産物を作って輸出していましたが、

    突如それまであった需要がすっぽり消滅してしまったのです。

     

    このままではアメリカは大量の小麦をはじめとする農産物の在庫を抱えることになり、国内の農業に大打撃を与えてしまします。

     

    さらに悪いことには、麦は米のように保存性が高くないため、アメリカにとっては火急の問題でした。

     

    アメリカ起死回生の奇策

    そんなアメリカの頭を悩ませる問題がもう一つありました。

    ロシアとの冷戦です。

     

    共産圏勢力に対抗するため、アメリカは味方の陣営を増やす必要がありました。

     

    そんな中、アメリカはこの食糧余り問題とロシア冷戦の二つの問題を一挙に解決できる”とっておきの秘策”を思いつきます。

     

    それが、「MSA法」と呼ばれる施策です。

     

    この法案の内容を一言で言うと、相手国に食糧の援助をする代わりに、軍備の増強を迫るというもの。

     

    アメリカとしては、ロシアに対抗できるよう、味方国を増やし、その国の軍事力を強化したいという狙いがあったので、

    食糧を援助するから軍事力を強化してね」と迫っていったのです。

     

    まさに、食糧余りを解消しつつ、味方陣営を獲得できるという起死回生の秘策でした。

     

    アメリカから出された食糧支援の条件とは

    その後、MSA法は「PL480法案」と名前を変えます。

     

    この法案の要点をまとめると、以下のようになります。

     

    ①アメリカの農産物を代金後払いで購入できる

    ②購入した農産物をその国の民間に売却したお金の一部は、アメリカと協議の上、復興に使える

    ③民間に売ってできたお金の一部は、アメリカがその国でのアメリカの農産物の宣伝、市場開拓費として使える

    ④学校給食への農産物を無償提供する

     

    これを見ると、相手国にとってかなり有利な、オイシイ条件であることがわかります。

     

    特に、①のお金がなくても食糧を売ってくれるというのは、

    当時、終戦直後でお金も食糧もなくジリ貧だった国(日本も含めて)にとってはこの上なく魅力的な条件でした。

     

    これだけ良い条件を用意したということから、

    アメリカの「在庫になっている農産物をとにかく早くさばきたい」という意図が見えます。

     

    日本はこのPL480法案を承認し、

    自衛隊を作ることと引き換えに、アメリカから小麦や大豆などの大量の食糧を獲得します。

     

    そしてこの政策が、後の日本の食生活の大変遷のすべてのひきがねとなります。

     

    果たして、そうなることを当時の政府関係者や農業関係者は予想していたのでしょうか…。

     

    全国に小麦の食べ方を教えて回ったキッチンカー

    もう一つ、さらにアメリカの小麦戦略を推し進めたものが「キッチンカー」の存在です。

     

    キッチンカーとは、調理施設のついた車で街を回り、各地で主婦を相手に料理の実演を行うための車です。

     

    当時はまだ一般市民が欧米の料理の作り方を知らなかったので、実際に見せて直接料理のやり方を教えて回ることにしたのです。

     

    このキッチンカーは1956年から5年間で全国2万会場、総勢スタッフ200万人を動員するという大規模なキャンペーンでした。

    しかし、実は陰ではアメリカが糸を引いていたようです。

     

    このキャンペーンの資金の1億数千万円はアメリカから提供されています

     

    さらには、資金を提供するかわりに、キッチンカーの料理実演で取り上げる料理には一定の条件が義務付けられていました。

     

    その条件が、「食材に必ず小麦と大豆を使うこと」です。

     

    アメリカとしては余って困っている食糧を使えるうえに、欧米料理が広まればその後の需要も安定して発生するというメリットがありました。

     

    そしてその思惑通り、今でも日本は毎年大量の小麦と大豆をアメリカから輸入し続けています

     

    パンを作れる日本人を育成する

    これだけではありません。

    もう一つ、アメリカが関わっていたキャンペーンがあります。

     

    それが、製パン業者技術講習会事業」です。

     

    これは日本人にパンの作り方を教えてパン職人を育成することを目的として事業で、

    初年度だけで全国200会場で実施され、1万人のパン職人が輩出されました。

    これにも約4000万円の費用がかけられています。

     

    翌年にはさらに約7000万円の資金を投入し、全国でパン祭りキャンペーンを実施

    新聞、テレビ、ラジオ、宣伝カー、セスナ機まで動員してPR活動を進めました。

     

    これらのキャンペーンにより、「パンを食べる」という文化が日本全国民に認知され、食の欧米化に一気に弾みがつくことになります

     

    牛乳とパンがない給食は給食じゃない

    そして食の欧米化を語る上で忘れてはならない、一番影響を色濃く残したものがあります。

     

    それが、学校給食への介入です。

     

    1947年1月に学校給食がスタートした当時、日本は終戦直後で未曾有の食糧難に見舞われていて、学童たちも栄養失調の状態でした。

    その様子を見た国連機関の代表者が、GHQのマッカーサーに速やかに学校給食を実施することを勧めます。

    これがきっかけとなり、学校給食実施に向けてGHQと日本側が動き出します。

     

    ボランティア団体の援助もあり、日本で学校給食がスタート。

    学校給食は順調に運営され、子供たちも助かって父兄にも好評でした。

     

    最初は都市部でしか実施されていなかったのですが、「この素晴らしい給食を全国の小学校に普及させよう」という流れになります。

     

    その提案を日本がGHQにした時の返答は

    日本政府が今後ともこの完全給食を強力に推進する確約をしなければ許可しがたい

    というものでした。

     

    この「完全給食」の定義がポイントです。

     

    このとき決められた「完全給食」の定義は、

    小麦を使ったパン食や脱脂粉乳を使ったミルク給食というものでした。

     

    つまり、全国で給食を実施する代わりに、今後の給食に関してはパンや脱脂粉乳を使うことを迫り、確約させたわけです。

     

    パンを食べた子どもが親になり、子どもにパンを食べさせる

    この通達が出たのは1950年で、日本は翌年のサンフランシスコ講和条約により再び独立国としての地位を得ました。

    そうなるとGHQも日本から引き上げなければならなくなります。

     

    ということは、せっかく始めた学校給食に対するアメリカの影響力もなくなってしまいます

    アメリカが去った後、日本人は給食を独自のものに変えるのではないかという疑念がアメリカにはあったのでしょう。

     

    たとえば給食にお米を使い始めたりして小麦の需要が減るかもしれない

     

    せっかくパンを食べることを覚え始めた日本人に対して影響力を残したい

    しかも今後戦争から復興し、人口が伸びる余地が多いにある国の食糧事情はなんとしても握っておきたい

     

    大量の農産物を抱えるアメリカがそう考えたことは想像に難くありません。

     

    結局日本はこの通達を承諾し、これによりその後の日本のパンと牛乳の給食が決定的なものとなります

     

    その後、子どもの頃からパンを食べる習慣が身に付いた子どもたちは大人になってもパンを食べ、

    自分の子どもにもパンを与えていき、世代を越えてパン食が日本全国に定着していったのです。

     

    今こそ日本の給食の見直しを

    日本の食が急速に欧米化した背景には、これまで見てきたような歴史的事実がありました。

     

    一応伝えておきたのですが、

    ここまで読むと、なんだかアメリカが悪者のように写るかもしれませんが、そう決めつけてしまうのは乱暴です。

     

    たしかに当時のアメリカは食糧が余っていてそれをさばきたいという思惑はあったでしょうが、

    実際日本も食糧に困っていたのは事実です。

     

    当時栄養失調だった日本の子供たちに食糧が行き渡り、餓死を減らせたのは紛れもなくアメリカのおかげなのです。

     

    問題なのは、経済復興がはじまり、食糧難が解消された後でも慣例としてパンと牛乳の給食が行われていたことです。

    この時点で日本は給食からパンを除き、完全米飯給食に切り替えるべきだったと思います。

     

    子どもにとって給食は食育の教材であり、食育の目的の一つは自国の食文化を学ぶことです。

    日本の食文化の歴史にパンはないのです。パンは給食以外で食べれば良いのです。

     

    日本の食文化は、お米が基本です。

    このことを子どもの頃に徹底的に教えておかないといけません。

     

    お米が日本人にとってどういう食べ物かをしっかり教えておけば、糖質制限でごはんを食べないなどというちぐはぐな食事法が流行ることもないのです。

     

    今これだけ生活習慣病が蔓延している現状も急激な食の欧米化が関係していることは間違いありません。

     

    今こそ、行き過ぎた食の欧米化を受け止め、

    私たち日本人が長年かけて完成させた伝統的な日本食の良さを反映させた本格的な給食の見直しが迫られているのではないでしょうか

     

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  • 【エピソード】これは感動! 22歳でカナダ勲章を取った青年

    【エピソード】これは感動! 22歳でカナダ勲章を取った青年

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    偉大なことをするには才能が必要なのでしょうか。

    100の努力は1の才能に勝てないのでしょうか。

    天才と凡人の間には超えられない壁が存在しているのでしょうか。

    もしかしたら、このストーリーにその答えが含まれているかもしれません。

     

    史上最年少でカナダ勲章授与

    カナダ人に「テリー・フォックス」という人がいます。

    彼はもうこの世にいません。22歳でこの世を去りました。

    カナダの1ドル硬貨には、エリザベス女王と並んで彼の肖像が刻まれています。

    日本ではあまり有名ではありませんが、カナダでは国民の誰もが知っている英雄です。

    彼は史上最年少でカナダ勲章まで授与されています。

    22歳という短い人生を送ったテリーは一体どんな偉大なことを成し遂げたのでしょうか。

     

    スポーツ少年

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    テリーは子供の頃からスポーツ万能な少年でした。

    なかでもバスケットボールのプレイはピカイチで、彼自身もバスケットボールが大好きでした。

    18歳で大学に進学したテリーは迷わずバスケットボール部に入部。

    大学に入学した時点ですでのその地区の中で一番名の知れたバスケットボールプレイヤーに成長していました。

    彼の活躍ぶりは目覚しく、「夢はNBAに入ってプロになり、世界で一番のバスケットボールプレイヤーになることだ」と周りに語っていました。

    夢と希望に溢れた青春時代。彼の人生には一点の曇もありませんでした。

     

    足がなくなる?!

    しかし、そんなテリーを突然悲劇が襲います。

    ある日の部活の練習中、彼は足に違和感を感じ、念のため病院で精密検査を受けることになったのです。

    その検査の結果、あまりにも重い宣告が医師から告げられることになります。

    「テリー、君の足は骨肉腫という病気に冒されている」

    骨肉腫とは骨のガンと呼ばれている病気で、彼はまだ若いため、進行が早く、一刻を争う状況でした。

    「これを告げるのは心苦しいが、助かるためには手術で右足を切るしかない。辛い決断だとは思うが、生きるためにはそれしないんだ」

    宣告を受けたテリーが18歳で、しかもプロのバスケットボールプレイヤーを目指していたことを考えると、受けた衝撃は筆舌に尽くしがたいです。

    「もうバスケットボールができなくなってしまう」

    しかし、命には変えられません。

    彼は手術を受けることを選択し、右足を失うことになります。

     

    失意の底で

    手術は無事に成功。テリーはベッドの上で空に浮かぶ流れる雲を力のない目で眺めていました。

    「僕の夢はバスケットボール選手になることだった。でも、今はもうその夢は叶わない。これからは一体何を目指して生きていけばいいんだ・・・」

    そんな人生の希望を失ってしまったテリーに両親も心を痛めていました。

    「テリー、自暴自棄にならないで。あなたはまだ若いんだから何だってできるわ。バスケットボール以外にも、きっと好きなことが見つかるはずよ」

    「父さん、母さん!変な気休めはよしてくれ!バスケットボールは僕のすべてだった。もう生きていても仕方ないんだ!」

    両親の優しさに素直に応えることができず、冷たく当たるしかないテリーでした。

     

    天使が舞い降りた

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    徐々に世間に対して心を閉じるようになったテリーは、病院の中でも他人と関わることを避けるようになっていました。

    人目を避けるように毎日病院の中庭のベンチに一人で座り、ただただぼんやりと空を眺める日々。

    そんなテリーに近づく、小さな女の子の姿がありました。

    「お兄ちゃん、こんにちは!今日はとても天気がいいわね」

    女の子は10歳ぐらいで、テリーと同じ病院に入院していました。

    テリーはその女の子の挨拶にも言葉を返すことはありませんでした。

    しかし、テリーがいくら無視しても、来る日も来る日も少女は中庭のテリーのもとを訪れます。

    「ねえ、お兄ちゃん!今日はきれいなタンポポを摘んできたわよ。ほら」

    「ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんはここを退院したら何したい?」

    毎日毎日、テリーに無邪気に話しかける女の子に、テリーも徐々に心を開くようになりました。

    「僕はね、バスケットボールがとても好きだったんだよ」

    「へえ〜、バスケットボール!素敵ね〜!」

    「うん、でも僕はもうバスケットボールをプレイすることはできないんだよ」テリーは力なく答えました。

    「お兄ちゃん、元気を出して!お兄ちゃんに頑張れないはずはないわ。だってこんな私でも頑張れるんだから!ね?」

    自分を励ましてくれている少女の姿を見ると、「弱い姿を見せるわけにはいかないな」と思うテリーでした。

    「そうだね。よし!僕も頑張るよ!」

    「約束だよー!あ、そうだ!私、まだ小さいけど、大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになってあげる!どう?」

    「ははは!本当?それはうれしいな。よし!約束だよ」

    いつしか、そんな少女との他愛のない時間がテリーにとっての心の支えになっていました。

     

    突然の別れ

    しかし、せっかく元気を取り戻したテリーにまたもや悲劇が起きます。

    ある日を境に、少女がぱったり中庭に来なくなるのです。

    少女に会いたくなったテリーは看護師に少女のことを聞きました。

    「ああ、あの子ならちょうど一週間前に亡くなったわよ」

    実は少女はテリーと同じ病気に冒されており、進行しきっており手の施しようがない状態だったのです。

    「そんな・・・。神様、どうして僕から何もかもを奪ってしまうのですか」

    せっかくできた心を開ける相手が死んでしまったこと、そして彼女が自分と同じ病気だったことが「自分も急にあっけなく死んでしまうのではないか」というテリーの孤独と絶望を大きくしました。

    テリーは人生の分岐点にいました。

    ここですべての希望を失って塞ぎこんでしまうのか、それとも・・・。

    「・・・あの子は絶望の世界にいた僕を救ってくれた。・・・僕はあの子に何一つしてあげられなかった」

    何とかしてあの子にお礼を言いたい。

    その日の真夜中、テリーはあることを考えつきます。

     

    募金を集めよう

    彼が思いついたこと。

    それは、「ガンの治療研究のための資金を集めること」でした。

    「二度とあの子のような悲劇を起こしたくない。僕が研究資金を集めればガン撲滅に貢献できるはずだ」というのがテリーの考えでした。

    しかし、普通に募金を募っても大した金額は集まらないだろうと考えた彼は、あるとんでもない計画を打ち立てます。

     

    カナダ横断

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    その計画とは、自分がカナダを東から西にマラソンで横断し、その様子をテレビ中継させ、カナダ国中にアピールして募金を集める」というもの。

    目標金額、2億円。

    目標金額の大きさもさることながら、これがどれだけ無謀な計画がおわかりいただけるでしょうか。

    カナダの東端から西端までは8000km.

    日本に置き換えると、北海道から沖縄までが直線距離で3000kmなので、北海道から沖縄を1往復半走ることに相当します。

    彼はそれを毎日フルマラソンの距離42.195kmを走り続け、横断するというのです。

    健常者と違って彼には右足がないので、義足を付けて走ることになるのですが、これは今から30年も前の話。

    当時の義足はまだ品質が今ほど良くなく、歩くだけで精一杯のもので、とてもとても走れるようなものではありませんでした。

    テリーの計画は無謀以外のなにものでもなかったのです。

     

    準備開始

    トレーニングを開始するテリー。

    義足の扱いになれていないのと、ベッドの上の生活が長く、体力も低下していたため、数歩走るのがやっとの状態でした。

    数歩走っては休み、また数歩走っては休むを繰り返しました。

    (当時の映像が残っています。こちらから ※Youtubeに飛びます)

    これを見ると、今のパラリンピックの選手がつけているような義足とは全然違うものだということがわかるかと思います。

    少し走ると、足と義足の接合面がすれて、皮膚がえぐれ、血があふれ出しました。

    その痛々しい姿を見た両親は目に涙を浮かべました。

    「お願い、テリー。もう見てられないわ。お願いだからやめてちょうだい・・・」

    「父さん、母さん、これぐらいなんてことないよ。この傷は時間が立てば治る。でも、あの子はもう二度と帰ってこれないんだ。僕は彼女にがんばるって約束したんだよ」

    テリーの決心は固かったのです。

     

    スタート

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    3年後。

    テリーは鋼の精神で3年間練習を続け、とうとう義足を使って走れるレベルにまで達します。

    「よし。準備はできた」

    1980年4月12日。

    テリーはカナダの東の端の海岸に立っていました。

    そして、総距離8000kmに及ぶマラソンの第一歩をスタートさせたのです。

    この日からテリーは毎日42.195kmを走り続けます。

    マラソンはとても順調に行き、テリーは毎日きっちりフルマラソンの距離を走っていました。

    少しずつ、メディアでも取り上げられるようになり、人々の間で話題になるようになりました。

    「おい、今日テリーがこの町を通るらしいぞ」

    テリーが向かう町の人たちは横断幕を作ったり、沿道に並んで彼に声援を送るようになります。

    その規模はどんどん大きくなり、町をあげてテリーを迎えるまでになっていきます。

    マスコミ報道もより大きく取り上げられるようになり、テリーは一躍カナダ中の国民が知る有名人になります。

    テリーはどれだけ疲れていても常に笑顔でテレビカメラの取材を受け、熱心に想いを伝え、募金に協力してほしいと訴えました。

    そして彼の意志に賛同した国民から募金が集まり始めたのです。

     

    テリー、崩れる

    このマラソンは「マラソン・オブ・ホープ(希望のマラソン)」と呼ばれています。

    テリーはマラソンをスタートした当初、早朝にスタートして午前中にはもう距離を走りきっていました。

    しかし、少しずつ走り終わる時間が遅くなっていき、昼過ぎ、夕方とペースが落ちてきます。

    そしてとうとう一日かかっても距離を走りきれなくなってしまいます。

    また、マスコミのインタビューに答えるテリーに、前はしていなかった咳が目立つようになります。

    彼はそんな不調にも負けず、西端を目指して進み続けました。

    もはや走ることはできなくなり、足をひきずりながらも、それでも一歩でも足を前へ運びました。

    そんな明らかに様子がおかしいテリーにとうとうドクターからストップがかかります。

    「今すぐ走るのをやめなさい。さもないと君は死んでしまう」

    5373km.

    テリーが143日間かけて走りきった距離です。

    西端まであと3000km弱のところでした。

     

    残された時間

    再び病床のテリー。

    彼は肺がんに冒されていたのです。

    転移です。インタビューの咳はその症状でした。

    実はテリーはガンが肺に転移しているのをマラソンを始める前から知っていました。

    「テリー、こうなった以上肺を一部切除するしかない。マラソンはあきらめてくれ」

    しかし、今のテリーにはこのマラソンが人生のすべてでした。

    「先生、僕にはあまり時間が残されていません。肺に転移したということは進行はかなり早い。手術したらまた体力が落ちます。3年間トレーニングしてきたんです。行かせてください」

    彼は医師の忠告を無視し、死を覚悟でマラソンに臨んでいたのです。

     

    カナダ国民、立ち上がる

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    今回のマラソンはガンの研究資金を集めることが目的でした。

    目標金額2億円。しかし、実際に集まった募金総額は1/4の5000万円でした。

    「僕のせいだ。僕が最後まで完走しなかったからお金が集まらなかったんだ。もう少し僕の体がもっていれば・・・」

    しかし、この病院でのインタビューの様子がテレビで放送された直後、カナダの各地でカナダ国民が立ち上がります。

    「テリーの意志を受け継ごう」

    町には募金箱を持ち、通行人に募金を呼びかける人々の姿が溢れかえりました。

    そしてその運動はものすごい勢いで広がり、カナダ全土へとみるみる広がっていきました。

    「動けないテリーの代わりに、私たちが彼の想いを実現させよう」

    テリーがマラソンをリタイアしてわずか2週間。

    目標の2億円を大きく上回る50億円もの募金が一気に集まってしまったのです。

     

    人生に遅すぎることはない、あなたにできないことはない

    「カナダのみんな、ありがとう・・・」

    テリーはそのニュースを聞いてまもなく亡くなります。

    享年22歳。

    二十歳そこそこの青年が、人々の心を動かし、50億円ものお金を集めたのです。

    そのお金は後のガン治療研究の発展に大きく寄与しました。

    テリーがマラソンを思いついたのが18歳。

    死ぬ4年前から人生が始まった人がいるということ。

    そしてそれを成し遂げたのは、右足を失った青年だったのです。

    偉大なことを成し遂げる人の条件とは?

    天才と凡人の違いは?

    彼の人生は大切なことを僕たちに教えてくれるように思います。