タグ: 和食

  • 和食が健康的な理由 「まごわやさしい」食事とは?

    和食が健康的な理由 「まごわやさしい」食事とは?

    https---www.pakutaso.com-assets_c-2015-09-SAWA_saikyouteisyoku-thumb-1000xauto-19167

    こんにちは。管理栄養士の圓尾です。

     

    食生活を健康的に改善したい!と思った時に、どうすればいいのかわからないという人も多いのではないでしょうか。

    「カロリー計算をするべき?」「●●が体にいいって聞いたからたくさん食べるべき?」「炭水化物は摂らない方がいいの?」

     

    そんな方に朗報です。

    計算、制限一切なしの健康食事法があります。

    それが、「まごわやさしい食事」

    どういう食事法なのか、解説していきましょう。

     

    [adsense]

     

    まごわやさしい食事って?

    食材の頭文字を取っている

    まごわやさしい食事」とは、杏林予防医学研究所所長の山田豊文先生が考案した、健康に良い食材の頭文字をとってワンフレーズにしたもの。

    どんな食材なのかをご紹介しましょう。

    • ま ⇒ 豆(大豆加工品)
    • ご ⇒ ゴマ(ナッツ類)
    • わ ⇒ わかめ(海藻類)
    • や ⇒ 野菜
    • さ ⇒ 魚(主に小魚や青魚と魚介類)
    • し ⇒ しいたけ(きのこ類)
    • い ⇒ いも(いも類)

    これらの食材を見て何か気づかれたでしょうか。

    そう、これらの食材はいわゆる和食(日本型食生活)に使われている食材、つまり私たち日本人が古くから親しんできた食材たちなのです。

    和食が無形文化遺産に登録された理由の一つが「健康的な食生活を支える栄養バランス」でしたが、その秘訣はこれらの食材なのです。

     

    それぞれの食材に違った栄養素が含まれている

    まごわやさしい」は、それぞれに含まれている栄養素が違っており、これらを食事の中で組み合わせることで自然と栄養バランスができるようになっている優れものです。

    改めてそれぞれの食材の特徴を見てみましょう。

     

    ま・・・豆、大豆製品

    大豆は「畑の肉」と言われるように、良質なたんぱく源です。

    機能性成分「イソフラボン」は女性ホルモンに似たような働きをしてくれ、美容にも効果的。

    さらにはレシチンやサポニンのように生活習慣病を予防する成分も含まれているスーパーフードです。

     

    ご・・・ごま、ナッツ類

    ごまには「セサミン」という活性酸素を打ち消す抗酸化成分(ファイトケミカル)が入っています。

    常に常備しておき、料理の仕上げにふりかけたり、天然塩と混ぜてごま塩にし、ごはんにふりかけてもGood.

    ナッツ類はミネラルと食物繊維が含まれ、体の調子を整えてくれます。

    くるみはオメガ3脂肪酸であるαリノレン酸をナッツ類で一番多く含み、脳の働きアップに貢献してくれます。

     

    わ・・・わかめ、海藻類

    わかめ、こんぶ、ひじき、のりなど。

    海藻は、海の豊かなミネラルを吸収して育っています。

    ミネラルは体を形作る材料になったり、体のさまざまな働きをサポートしてくれます。

    水溶性食物繊維も豊富で、食後の血糖値上昇を抑えたり、余分なコレステロールを体外に出す働きも。

     

    や・・・野菜

    野菜は言わずと知れたビタミンの宝庫です。

    特に緑黄色野菜と呼ばれる野菜には皮膚や粘膜を正常に保ち、抗酸化作用もあるビタミンAが豊富。

    季節のものを中心に、いろんな色の野菜を選んで偏りなく食べるようにしましょう。

     

    さ・・・魚(主に小魚、青魚)

    魚はたんぱく質に加え、不足しがちな良質の油を多く摂ることができます。

    オメガ3に分類される脂質であるEPAやDHAは、血液をサラサラにし、特にDHAは脳の働きを良くすることでも知られています。

    じゃこを常備しておけば、さっと和え物に散らしたり、ごはんのお供にも最適です。

     

    し・・・しいたけ(きのこ類)

    しいたけ、まいたけ、えのき、しめじなどのきのこ類はどれも低カロリーなので食べ過ぎる心配がありません。

    カルシウムの吸収を助け、骨への定着を助けるビタミンDや、便通を良くする食物繊維も多く含んでいます。

     

    い・・・いも(いも類)

    じゃがいも、さつまいも、里芋、長芋など。

    いもには皮膚や血管を若々しく保ったり、免疫力を維持する働きのあるビタミンCが多く含まれています。

    食物繊維も豊富で便秘の予防にも一役買ってくれます。

    糖質を多く含むので、おかずにいもを使った時はごはんを食べ過ぎて糖質過多にならないようにしましょう。

     

    まとめ

    このように、「まごわやさしい」食材をまんべんなく食事の中に登場させることにより、自然と体に良い食事に早変わりします。

    特に「ご(ごま、ナッツ類)」「わ(海藻)」「さ(魚)」あたりは食べる頻度が少なくなりがちなので意識しましょう。

     

    そして、「まごわやさしい」を手軽に補えるのが実は”味噌汁”です!

    味噌が大豆の加工品なので「ま」はOK、後は具材に海藻や野菜などを入れれば一気に食材の幅が広がります。

     

    和食とも相性の良い「まごわやさしい」。

    ぜひ、取り入れてみてくださいね。

     

    【 関連記事 】

    ※ “おいしい”の基準を変える!絶品土鍋ごはんの秘密に迫る

    ※ 歴史を知れば理由が見えてくる!日本人はなぜ、パンを食べるようになったのか

    ※ いつもの調味料を変えるだけで・・・毎日がもっと楽しく、健康になる

  • 歴史の明暗を分けた!日本海軍と陸軍で食べられていた食事の違いとは

    歴史の明暗を分けた!日本海軍と陸軍で食べられていた食事の違いとは

    large_4236445041

    一人の人物によって、その後の歴史が大きく変わる

    ということがあります。

     

    今回はそんな英雄の一人で、

    明治時代に活躍した軍医の話をしたいと思います。

     

    彼の名前は、高木兼寛(かねひろ)

     

    明治の、まさに日本が軍国主義を取り、

    欧米列強の仲間入りを果たそうと躍起になっている時代。

     

    彼がいなければ、日本の歴史が変わっていたかもしれません。

     

    今回は、そんな高木兼寛が果たした偉業をご紹介したいと思います。


    ※ 4月24日、初めての著書が発売になります!

    [blogcard url=”https://karada465b.minibird.jp/post-5282/”]

     

    [adsense]

    高木兼寛が明治時代の日本を救った

    脚気が大流行

    脚気(かっけ)」という病気があります。

     

    これはビタミンB1が不足することによって起きる病気で、

    日本では江戸時代に流行し、

    江戸患い」とも呼ばれていました。

     

    なぜ江戸時代に流行ったかというと、

    それまでは玄米などの雑穀を食べていた庶民が豊かになり、

    精製された白米を食べるようになったことがきっかけです。

     

    白米は玄米に比べて栄養素が低いため、

    ビタミンB1が不足して脚気を患う人が急増しました。

     

    脚気にかかると、

    最初は体がだるくなったり、食欲不振になります。

     

    そしてやがては神経障害を引き起こし、

    ついには呼吸不全、心不全によって

    死に至るという恐ろしい病です。

     

    しかし、当時は

    これが栄養素の不足によって起きているなどとは

    誰も考えていませんでした。

     

    船員がバタバタと脚気に倒れる

    明治時代になり、

    日本も諸外国にならって軍隊を作りました。

     

    この頃は脚気は原因不明の病で、

    軍隊においても深刻な問題になっていました

     

    たとえば海軍の戦艦(龍驤(りゅうじょう))が

    272日の航海に出た際、

    船員376人中、約半数の169人が脚気にかかり、

    そのうち25人が死亡しています。

     

    これほど深刻な被害をもたらしていた脚気ですが、

    なんと欧米の軍艦ではまったく発生していませんでした

     

    このことから、海軍軍医の高木は

    脚気の原因は食事にあるのではないか

    と考えるようになります。

     

    海軍と陸軍の食事

    small_5632534293
    高木は自分の説を確かめるため、

    白米に大麦を混ぜてみることにしました

     

    すると、これを試した「筑波」という軍艦では、

    287日の航海中、船員333人に対し脚気にかかったのはわずか14人、

    死者にいたってはゼロという結果が出たのです。

     

    この結果を受けて海軍では食事が改善され、

    脚気で倒れる船員はほとんどいなくなりました

     

    しかし、信じられないことに

    陸軍ではこの海軍におけるめざましい成果を

    一顧だにせず、無視し続けました

     

    同じ国の軍隊にもかかわらず、

    陸軍ではまったく食事に手を加えられることはなかったのです。

     

    その後の日清戦争では、陸軍において、

    戦闘により1270人の死傷者が出てしまったのですが、

     

    戦闘が原因でない脚気による死者数は

    なんと4064人に達しました

     

    戦闘による死者よりも、

    栄養不足で亡くなった兵士の方が圧倒的に多かったのです。

     

    一方、海軍では脚気による死者数はゼロ

    それどころか、脚気にかかったものすら一人もいなかったのです。

     

    同じ時期の、同じ国の軍隊にもかかわらず、です。

     

    日本陸軍はその後も食事はまったく改善されず、

    次の日露戦争では、戦死者4万7000人に対して、

    脚気患者は21万1600人で、

    そのうち死者は2万7800人を数えています

     

    言うまでもなく、

    海軍では脚気患者すらほとんど出していません。

     

    なぜこんなおかしなことが起きたのでしょうか。

     

    医学はドイツが本流

    なぜ陸軍では食事がまったく改善されなかったのか。

     

    海軍での成果が共有されていなかったわけではありません。

    成果は伝わっていたのですが、

    完全に無視され続けていたのです。

     

    その理由は、

    高木が医学をイギリスで学んでいたからです。

     

    当時の日本では「医学はドイツ」という風潮があり、

    権威ある医師はみなドイツ留学者で占められていました。

     

    高木は医学の本場ドイツで学んでいないからという理由で、

    世界では高木の功績が高く評価されていたにもかかわらず、

    国内ではまったく認められていませんでした。

     

    当時の陸軍には医師としてだけでなく、

    文豪としても有名な森鴎外もいましたが、

     

    彼らは「脚気は伝染病である」との主張を曲げず、

    栄養不足だとする高木の考えに見向きもしませんでした。

     

    その結果、当時の日本陸軍は戦闘以外のところで

    多大な犠牲を払うことになったのです。

     

    高木の功績が評価されたのは、死後時間がたってからでした。

     

    まとめ

    このエピソードはいろいろ学びが隠されています。

     

    高木の時代から100年たっているとはいえ、

    現代においても栄養学はまだまだ発展途上、未知の部分が多いです。

     

    概して新しい考え、新しい理論は

    それまでの常識からすると

    突拍子もなく見えることがあります。

     

    しかし、今までの常識だけで情報を捉えていては

    大きな発見はありません。

     

    今日でも次々に新しい健康法や栄養の情報が

    飛び交っていますが、

     

    それを頭ごなしに否定するよりも、

    真実を見極めようとする目が必要です。

     

    僕も偏見を持ったり、食わず嫌いにならずに、

    まず興味を持って情報を知ることを大事にしていきたいです。

     

    新しい変化を受け入れられなくなり、

    盲目的になることほど怖いことはないのですから。

    ※ 4月24日、初めての著書が発売になります!

    [blogcard url=”https://karada465b.minibird.jp/post-5282/”]

     

    [amazonjs asin=”B01DZV7526″ locale=”JP” title=”国産 ぷちっと大麦 九州産100% 600g アルミ真空パッケージ、脱酸素材入りで新鮮なままお届け! チャック付で保存に便利!”]

    [amazonjs asin=”4906913326″ locale=”JP” title=”医師たちが認めた 玄米のエビデンス (veggy Books)”]

  • 歴史を知れば理由が見えてくる!日本人はなぜ、パンを食べるようになったのか

    歴史を知れば理由が見えてくる!日本人はなぜ、パンを食べるようになったのか

    PAK85_to-sutobiz20140830500

     

    現代では、日本人が食事でパンを食べることは別段珍しくもない光景ですが、

    2000年以上ある歴史の中で日本人が日常的にパンを食べ始めたのは、戦後に入ってからのことです。

     

    日本人はそれまでの歴史上食していなかったパンを日常的に食べるようになりました。

    これは日本人の食生活の歴史上、特筆すべき出来事です。

     

    この急激な変化はいかにして起こったのか。

    今回のその裏側に迫ってみます。

     

    当ブログ執筆者のプロフィールはこちら

    [adsense]

     

    歴史を知れば理由が見えてくる!日本人はなぜ、パンを食べるようになったのか

    日本の食は戦後に大きく変わった

    今回の記事では、日本人がいかにしてパンを食べるようになったのかを、歴史を振り返りながら紹介していきたいと思います。

     

    日本の食生活は太平洋戦争を機に、大きく変わります

    その中心となったのが、主食の変化でした。

     

    それまでは主食といえばお米が当たり前でしたが、そこにパンやパスタなどの小麦製品が入り込むようになります

     

    他にも肉や卵、牛乳といった食の欧米化も伴ってくるのですが、

    主食として何を食べるかによっておかずは影響を受けるので、

    この変化はすべて主食に小麦が入り込むことによって起きたと言えます。

     

    たとえば、朝食にパンを食べようと思った時に、あなたはおかずに何を選びますか?

     

    バターを塗ったトーストによく合うものといえば、

    ベーコンエッグ、ソーセージ、スクランブルエッグ、サラダ、牛乳、ヨーグルト、チーズなどですよね。

     

    トーストには焼き魚も、納豆も、味噌汁も、おひたしも漬物も緑茶も合わないのです。

     

    このように、主食がパンに変わったことが中心となり、他の食品にまで変化が連動的に起きていきます。

     

    肉を11倍、乳製品を23倍食べるようになった

    農林水産省発表のデータでは、1960年代と2000年代とでは米の消費量が半分にまで減っています

     

    しかし、その一方で消費量が飛躍的に増えている食品があります。

    次のデータは、戦前の昭和初期と戦後の昭和58年を比較したものです。

     

    ・肉類・・・11倍に増加
    ・卵・・・6倍に増加
    ・牛乳、乳製品・・・23倍に増加
    ・油脂類・・・20倍に増加

     

    このように、特定の食品の消費量がものすごい勢いで増えているのがわかります。

     

    世界史で見ても、わずか数十年でこれほど急激に食生活が変わった例はないでしょう

     

    それほど日本の食生活の変化は劇的でした。

     

    では、いよいよその変化を生み出した原因となるパン食の歴史に話を移しましょう。

     

    食糧大国アメリカの大胆な小麦戦略

    現在、日本の小麦の自給率は10%以下で、そのほとんどを輸入に頼っています。

     

    世界の中で見ると、第四位の小麦輸入国(FAOSTAT 2007年より)で、輸入先の半分以上がアメリカです。

     

    今でも日本が小麦の大部分を輸入しているのがアメリカ

    日本にパンが広まったのは、このアメリカの影響が大きいのです。

     

    アメリカを除く世界中で食糧が不足していた

    アメリカは第二次世界大戦中、ほとんど本土攻撃を受けることなかったため、

    戦争中も国内の農業は安定して成長することができました。

     

    一方で、ヨーロッパでは激しい戦禍に見舞われ、食糧不足が起きていました。

     

    アジアも同様で、それによって深刻な食糧不足があり、世界的に大きな食糧の需要が生まれていました。

    その需要を満たしたのがアメリカです。

     

    世界中で食糧が必要になっている中、アメリカはその需要に応えるために国をあげて農業の大規模化、機械化、効率化を進めました

     

    その結果、アメリカは膨大な食糧の需要に応えることに成功し、アメリカが世界の食糧難を救っていったのです。

     

    状況が一転し、逆に食糧余りの状態に・・・

    しかし、1945年に戦争が終わると状況は一変します。

     

    アジアでは戦いが終わったことにより、兵士たちの食糧が必要なくなりました

     

    一方、ヨーロッパでも農業が復興し、アメリカに頼らずとも自国で食糧がまかなえるように回復したのです。

     

    これにより、アメリカは困ります。

     

    それまで多額に資金を投資し、大量の農産物を作って輸出していましたが、

    突如それまであった需要がすっぽり消滅してしまったのです。

     

    このままではアメリカは大量の小麦をはじめとする農産物の在庫を抱えることになり、国内の農業に大打撃を与えてしまします。

     

    さらに悪いことには、麦は米のように保存性が高くないため、アメリカにとっては火急の問題でした。

     

    アメリカ起死回生の奇策

    そんなアメリカの頭を悩ませる問題がもう一つありました。

    ロシアとの冷戦です。

     

    共産圏勢力に対抗するため、アメリカは味方の陣営を増やす必要がありました。

     

    そんな中、アメリカはこの食糧余り問題とロシア冷戦の二つの問題を一挙に解決できる”とっておきの秘策”を思いつきます。

     

    それが、「MSA法」と呼ばれる施策です。

     

    この法案の内容を一言で言うと、相手国に食糧の援助をする代わりに、軍備の増強を迫るというもの。

     

    アメリカとしては、ロシアに対抗できるよう、味方国を増やし、その国の軍事力を強化したいという狙いがあったので、

    食糧を援助するから軍事力を強化してね」と迫っていったのです。

     

    まさに、食糧余りを解消しつつ、味方陣営を獲得できるという起死回生の秘策でした。

     

    アメリカから出された食糧支援の条件とは

    その後、MSA法は「PL480法案」と名前を変えます。

     

    この法案の要点をまとめると、以下のようになります。

     

    ①アメリカの農産物を代金後払いで購入できる

    ②購入した農産物をその国の民間に売却したお金の一部は、アメリカと協議の上、復興に使える

    ③民間に売ってできたお金の一部は、アメリカがその国でのアメリカの農産物の宣伝、市場開拓費として使える

    ④学校給食への農産物を無償提供する

     

    これを見ると、相手国にとってかなり有利な、オイシイ条件であることがわかります。

     

    特に、①のお金がなくても食糧を売ってくれるというのは、

    当時、終戦直後でお金も食糧もなくジリ貧だった国(日本も含めて)にとってはこの上なく魅力的な条件でした。

     

    これだけ良い条件を用意したということから、

    アメリカの「在庫になっている農産物をとにかく早くさばきたい」という意図が見えます。

     

    日本はこのPL480法案を承認し、

    自衛隊を作ることと引き換えに、アメリカから小麦や大豆などの大量の食糧を獲得します。

     

    そしてこの政策が、後の日本の食生活の大変遷のすべてのひきがねとなります。

     

    果たして、そうなることを当時の政府関係者や農業関係者は予想していたのでしょうか…。

     

    全国に小麦の食べ方を教えて回ったキッチンカー

    もう一つ、さらにアメリカの小麦戦略を推し進めたものが「キッチンカー」の存在です。

     

    キッチンカーとは、調理施設のついた車で街を回り、各地で主婦を相手に料理の実演を行うための車です。

     

    当時はまだ一般市民が欧米の料理の作り方を知らなかったので、実際に見せて直接料理のやり方を教えて回ることにしたのです。

     

    このキッチンカーは1956年から5年間で全国2万会場、総勢スタッフ200万人を動員するという大規模なキャンペーンでした。

    しかし、実は陰ではアメリカが糸を引いていたようです。

     

    このキャンペーンの資金の1億数千万円はアメリカから提供されています

     

    さらには、資金を提供するかわりに、キッチンカーの料理実演で取り上げる料理には一定の条件が義務付けられていました。

     

    その条件が、「食材に必ず小麦と大豆を使うこと」です。

     

    アメリカとしては余って困っている食糧を使えるうえに、欧米料理が広まればその後の需要も安定して発生するというメリットがありました。

     

    そしてその思惑通り、今でも日本は毎年大量の小麦と大豆をアメリカから輸入し続けています

     

    パンを作れる日本人を育成する

    これだけではありません。

    もう一つ、アメリカが関わっていたキャンペーンがあります。

     

    それが、製パン業者技術講習会事業」です。

     

    これは日本人にパンの作り方を教えてパン職人を育成することを目的として事業で、

    初年度だけで全国200会場で実施され、1万人のパン職人が輩出されました。

    これにも約4000万円の費用がかけられています。

     

    翌年にはさらに約7000万円の資金を投入し、全国でパン祭りキャンペーンを実施

    新聞、テレビ、ラジオ、宣伝カー、セスナ機まで動員してPR活動を進めました。

     

    これらのキャンペーンにより、「パンを食べる」という文化が日本全国民に認知され、食の欧米化に一気に弾みがつくことになります

     

    牛乳とパンがない給食は給食じゃない

    そして食の欧米化を語る上で忘れてはならない、一番影響を色濃く残したものがあります。

     

    それが、学校給食への介入です。

     

    1947年1月に学校給食がスタートした当時、日本は終戦直後で未曾有の食糧難に見舞われていて、学童たちも栄養失調の状態でした。

    その様子を見た国連機関の代表者が、GHQのマッカーサーに速やかに学校給食を実施することを勧めます。

    これがきっかけとなり、学校給食実施に向けてGHQと日本側が動き出します。

     

    ボランティア団体の援助もあり、日本で学校給食がスタート。

    学校給食は順調に運営され、子供たちも助かって父兄にも好評でした。

     

    最初は都市部でしか実施されていなかったのですが、「この素晴らしい給食を全国の小学校に普及させよう」という流れになります。

     

    その提案を日本がGHQにした時の返答は

    日本政府が今後ともこの完全給食を強力に推進する確約をしなければ許可しがたい

    というものでした。

     

    この「完全給食」の定義がポイントです。

     

    このとき決められた「完全給食」の定義は、

    小麦を使ったパン食や脱脂粉乳を使ったミルク給食というものでした。

     

    つまり、全国で給食を実施する代わりに、今後の給食に関してはパンや脱脂粉乳を使うことを迫り、確約させたわけです。

     

    パンを食べた子どもが親になり、子どもにパンを食べさせる

    この通達が出たのは1950年で、日本は翌年のサンフランシスコ講和条約により再び独立国としての地位を得ました。

    そうなるとGHQも日本から引き上げなければならなくなります。

     

    ということは、せっかく始めた学校給食に対するアメリカの影響力もなくなってしまいます

    アメリカが去った後、日本人は給食を独自のものに変えるのではないかという疑念がアメリカにはあったのでしょう。

     

    たとえば給食にお米を使い始めたりして小麦の需要が減るかもしれない

     

    せっかくパンを食べることを覚え始めた日本人に対して影響力を残したい

    しかも今後戦争から復興し、人口が伸びる余地が多いにある国の食糧事情はなんとしても握っておきたい

     

    大量の農産物を抱えるアメリカがそう考えたことは想像に難くありません。

     

    結局日本はこの通達を承諾し、これによりその後の日本のパンと牛乳の給食が決定的なものとなります

     

    その後、子どもの頃からパンを食べる習慣が身に付いた子どもたちは大人になってもパンを食べ、

    自分の子どもにもパンを与えていき、世代を越えてパン食が日本全国に定着していったのです。

     

    今こそ日本の給食の見直しを

    日本の食が急速に欧米化した背景には、これまで見てきたような歴史的事実がありました。

     

    一応伝えておきたのですが、

    ここまで読むと、なんだかアメリカが悪者のように写るかもしれませんが、そう決めつけてしまうのは乱暴です。

     

    たしかに当時のアメリカは食糧が余っていてそれをさばきたいという思惑はあったでしょうが、

    実際日本も食糧に困っていたのは事実です。

     

    当時栄養失調だった日本の子供たちに食糧が行き渡り、餓死を減らせたのは紛れもなくアメリカのおかげなのです。

     

    問題なのは、経済復興がはじまり、食糧難が解消された後でも慣例としてパンと牛乳の給食が行われていたことです。

    この時点で日本は給食からパンを除き、完全米飯給食に切り替えるべきだったと思います。

     

    子どもにとって給食は食育の教材であり、食育の目的の一つは自国の食文化を学ぶことです。

    日本の食文化の歴史にパンはないのです。パンは給食以外で食べれば良いのです。

     

    日本の食文化は、お米が基本です。

    このことを子どもの頃に徹底的に教えておかないといけません。

     

    お米が日本人にとってどういう食べ物かをしっかり教えておけば、糖質制限でごはんを食べないなどというちぐはぐな食事法が流行ることもないのです。

     

    今これだけ生活習慣病が蔓延している現状も急激な食の欧米化が関係していることは間違いありません。

     

    今こそ、行き過ぎた食の欧米化を受け止め、

    私たち日本人が長年かけて完成させた伝統的な日本食の良さを反映させた本格的な給食の見直しが迫られているのではないでしょうか

     

    ※ 初めての著書『一日の終わりに地味だけど「ほっとする」食べ方』好評発売中!!

    [amazonjs asin=”4847095685″ locale=”JP” title=”一日の終わりに地味だけど「ほっとする」食べ方”]

     

    [amazonjs asin=”B000WMK73Q” locale=”JP” title=”長谷園 かまどさん三合炊(直火専用) CT-01″]

    [amazonjs asin=”4799318632″ locale=”JP” title=”「食事」を正せば、病気、不調知らずのからだになれる ふるさと村のからだを整える「食養術」”]