23歳まで神戸で生まれ育った僕が流暢な関東弁を習得するためにやったこと

こんにちは。

管理栄養士の圓尾(まるお)です。

初めての方は、こちらからどうぞ

 

東京に来て今年で7年目。

 

僕は関西の神戸出身で

23歳まではずっと関西弁しかしゃべっていなかったのですが、

 

今は仕事もプライベートも

東京にいる時はすべて標準語を話しています。

 

そして、

まず関西人だと気付かれません

 

 

それぐらい関西アクセントのない

ほぼ完璧な標準語を話すことができます

 

でも、これは自然とそうなったわけではありません。

 

今回は、生粋の関西人だった僕が

いかにして流暢な標準語を身に着けたのかをお話します。

 

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23歳まで神戸で生まれ育った僕がいかにして流暢な関東弁を習得したのか

関西人からすると、関東弁は外国語

まず大前提として。

 

関西で生まれ育った関西人が

東京に住んだからといって

自然と標準語を話せるようになるわけではありません

 

確かに、長年住んでいると

かなり関西アクセントや方言が薄くなっている人はいますが、

 

いくらか会話をしていると

あれ、もしかして関西出身ですか?

と僕は結構敏感にわかります。

 

やはり関西と関東では

アクセントや抑揚がまったく違うので

 

外国語を習得する

ぐらいの感覚で臨まないと

なかなか身につくものではありません。

 

関東弁をシャドーイング

僕が標準語を習得するために行ったこと。

 

それはまさしく、

留学のために英語を学ぶ時に行ったこととまったく同じです。

 

それが、

シャドーイングという練習法です。

 

詳しくはググってほしいのですが、

学校でよくやった”Repeat after me“という

先生が何か一文を読んでそれを聞いてから口に出すのではなく、

 

聞こえてくるそばから、それを追いかけるようにして

すぐに口に出すという練習法です。

 

まるでどこにいてもついて回る陰のよう

という意味でシャドーイングという名前がついているのだと思います。

 

僕はこれを関東弁でやりました。

 

当時、題材として選んだのが

KAT-TUNの亀梨さん、山下智久、堀北真希さん

が出演した

 

野ブタをプロデュース。」という学園ドラマです。

(余談ですが、亀梨さんと山下さんは同い年です)

 

このドラマを一話から完コピです。

台詞を覚えるぐらい、何度も何度も

 

堀北さんの台詞も(ほとんどなかったけど)、

山Pの「コンコン」というやつも

すべて丸ごとシャドーイングしました

 

このドラマでは若者言葉と大人の話す言葉が

両方出てくるところが良かったです。

 

脳内で関西弁を関東弁に翻訳

これで関東弁の単語やリズムを口が覚え始めると、

今度は独り言や心の中の声を関東弁に翻訳していきました

 

あ〜、腹減ったなあ

字面では関東弁も関西弁も同じですが、

イントネーションがまったく違います。

 

それなんぼで買(こ)うたん?

それいくらで買ったの?

 

このようにイントネーションに加えて

単語や動詞の活用が異なる場合もあります。

 

実際の会話では

あれ?”なんぼ”って関東弁で何て言うんやろ?

などと考えている暇はありません。

 

こういったことを暇さえあれば

頭の中でシミュレーションしていました。

 

ネイティブの標準語に押され気味

準備を始めてから数ヶ月。

いよいよ標準語での生活が始まりました。

 

僕が最初に関西から出たのは静岡でした

大学院に通うために訪れた場所です。

 

若干の方言はあるものの、

ほとんど標準語でした。

 

最初に静岡駅の構内を歩いている時のこと、

子供連れのお母さんが

ちょっと〜、○○ちゃん、そっち行っちゃダメよ

と言っているのを聞いて

ああ、いよいよ関西を離れたんだな」と実感しました。

 

関西なら

こら、そっちいったらあかんやろ!」でしまいです笑。

 

そしていよいよ大学の研究室へ。

 

研究室のメンバーたちは温かく迎えてくれたのですが、

 

頭の中で想像していたのと

実際に耳で標準語を聞くのでは

迫力がまったく違いました。

 

あれってさあ〜、なになにだよね〜

でもさあ〜、これはこうじゃん?

 

ス、スゴい……。

ガチの標準語だ……。

 

関西人の方なら共感してもらえると思いますが、

最初は男が話す標準語が鳥肌ものでした。

(もちろん、今ではそんなこと思っていません)

 

それと、なんだか感情がこもっていないように聞こえるのです。

 

そっか〜、それは大変だったね〜

これも関西弁だと

そうなんや〜、それは大変やったなあ〜

 

言葉だけではなく、言い方も

なんか関西弁のほうが温かみがあるように聞こえるんですよね。

(もちろん、今はそんなことないというのはわかります)

 

時には頭痛になりながらも話し続ける

あれだけ練習してきたはずなのに、

最初は自分が標準語を話すのがとても恥ずかしかったです。

 

なになにだよね〜

と言っている自分がまず気持ち悪いし、

 

標準語が下手くそだと思われたらどうしよう……

という不安もありました。

 

でも、ここで逃げてはいけない。

 

だって、ここでもし関西弁で行ってしまうと

関西キャラが定着して途中で標準語に変えることが困難になる

 

僕は口数が少なくなりながらも、

なんとか、つたない標準語を話していきました。

 

時には失敗することもありましたし、

たくさん標準語を聞いたり話したりして

家に帰ってから頭が痛くなることもありました

 

あと、土日で人と会わなかったすると、

月曜日に標準語のレベルが落ちていたり

慣れるまでに三ヶ月ぐらいはかかりました。

 

でも、少しずつ定着していき、

いつしか心の中の声も標準語に変わっていきました。

 

夢も標準語で見るようになりました。

 

関東弁と関西弁の切り替えが課題に

次に大変だったのが、

関東弁と関西弁の切り替えです。

 

最初はこれがうまくいかず、

関西に帰省した時にも標準語のままになっていたり、

 

逆に静岡に戻った時に

関西弁が出そうになったりしました。

 

この切り替えが結構難しく、

慣れるまでに1、2年はかかったように思います。

 

一番難しかったのがマクドナルドです。

 

ご存知のとおり、関東ではマック、

関西ではマクドと呼びます。

 

この切り替えが本当に難しく、

関西に帰った時も「マック」と口走ることが多々ありました。

 

慌てて言い直しても、時すでに遅し。

関西でこれをやると、場が凍りつきます笑。

 

それぐらい関西人にとって

マクドナルドを「マック」と呼ぶのは違和感のあることなのです。

 

この切り替えが失敗なくできるようになるには四年ほどかかったように思います。

今でもたまに危ない時があるぐらいです。

 

まとめ

ということで今回は、

僕がいかにして完璧な標準語を習得したのかをご紹介しました。

 

関東出身の方は

何をそんな大げさに」と思われるかもしれませんが、

 

地方出身だと気付かれないレベルで標準語を話すというのは

別の言語を習得するぐらい難しいことなのです。

 

ちなみに、

僕が完璧な標準語を覚えようと思ったのは

別に関西人としてアイデンティティを消そうとかそういうのではなく、

 

単純に二つの日本語を完璧に話せたらおもしろそう

という好奇心なので、あしからず。

 

今でも関西は大好きですし、

関西に帰ったら思いっきり関西弁を話します。

 

落語もやっぱり上方落語は独特の魅力があるんですよね。

 

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